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NHKクローズアップ現代

 投稿者:当世奇妙  投稿日:2009年11月16日(月)20時08分26秒
  橋本さんも白石先生も皆さん自制して話されていましたね。
ところで翌檜さんへ 柵は出ていましたか?
今回の発掘施設が出雲大社とのみ似ているとするとどう言うことになりますか?

http://www.npo-rich.jp/modules/tinyd0/

 

纏向遺跡現地説明会

 投稿者:翌檜  投稿日:2009年11月16日(月)01時22分35秒
  玉枕さん、ご依頼の案件を討論室、纏向遺跡中枢部に引きつづき書き込みをさせていただきました。

>あの柱穴を捨てるべきか拾うべきか、

今回の調査上では不要扱い、意味不明の柱穴として処理。石野先生からは別段コメントなしとの討論室での別学芸員さんの話でした。
 

新井宏先生

 投稿者:翌檜  投稿日:2009年11月15日(日)08時15分3秒
  古韓尺論(法隆寺再建非再建論での新論、川端俊一郎著/法隆寺の物差しでは材と称する)から泉屋博古館資料批判および最近の歴博批判と連続で問題提起、私も一連の論旨を読ませていただき、自身に取り込み大いに勉強させていただいております。有難いことです。

そのうちに一度は上京、ご講義を拝聴いたしたいと思っております。宜しくお伝えいただければ幸いです。

玉枕さん
>全体の柱穴の見取り図などが手に入りましたらお願いいたします。

がってん承知、あれば頂いてまいります。
 

布留ゼロ

 投稿者:当世奇妙  投稿日:2009年11月15日(日)07時13分29秒
  布留ゼロの提唱者は寺澤薫氏です。その設定は我々では理解は出来ても消化出来無いものです。弥生文化博物館の収納庫に数度入れていただいて小山田さんに説明いただきましたがお手上げでした。弥生五様式から庄内、布留と時代が新しくなるにつれ土器のふくらみ部分が下へ下がってくる様子、底の丸みへの変化、小型丸底壺の出現と変化などがなんとなく分かった程度でした。
ところで寺澤氏の布留ゼロ様式設定定義は以下と理解します。
1.布留形甕と布留形影響甕の出現 2.小型精製土器の完備
そのほかに3.広口壺全形式・細頸壺の激減 4.二重口縁壺・短頸壺・短頸直口壺の顕在化 5.二重口縁壺の2形式への分化と超大型二重口縁壺の参見 6.高杯の様式の増加と消長 7.手焙り方土器の激減とD形式の出現
関川氏、寺澤氏、石野氏と土器編年の大家はかなり幅広い考察で編年を行っていると思います。その上でも実年代では現時点でも三氏に大きな差があると思います。
そこで年輪年代・C14が期待されますが、その信ぴょう性の議論が重用となっています。
12月の新井宏氏のこの分野での最新論のご講演が期待されます。

http://www.npo-rich.jp/modules/tinyd0/

 

纏向遺跡中枢部の現地説明会

 投稿者:玉枕  投稿日:2009年11月14日(土)23時48分1秒
  翌檜さま、もし、質問できる状況でしたら、今回の大型建物(宮殿?祭殿)として組んでいる柱穴の深さはどのくらいなのか聞いてきてくださいますか?

全体の柱穴の見取り図などが手に入りましたらお願いいたします。
あっ!大事なこと、今回の発掘調査における出土物、新聞には何も報道されていませんでした。
お天気も良いようですし・・・カメラ持参で!楽しみだ!
 

庄内式土器

 投稿者:翌檜  投稿日:2009年11月14日(土)23時01分51秒
  プレアデスさん、有り難うございました。

庄内土器の始まりをいつにするかなど大それたことは考えておりません。船橋遺跡採取土器が弥生文化博物館に収蔵されており、庄内式から布留式までが時系列で見られ非常に感動いたしました。ここで、これが布留0ですといわれて前後の土器との相違がまったく判りませんでした。情けない話です。

その船橋遺跡では、ズバリ二重口縁壺、加飾二重口縁壺に良く似た壺(モドキ)、それに先立つと思われる生駒西麓産胎土(所謂地元産)の弥生土器など多彩に採集されています(柏原市歴史資料館図録)。

このモドキ壺と田能遺跡の弥生土器を見比べればいいですね、資料館ができているらしいので近いうちに尼崎の田能に行ってみます。あくまでもホケノ山関連資料としてですが、貴重な情報有り難うございました。

ところで、もう一点だけ。
>庄内式土器の始まりは2世紀後半、170年か180年ごろまで引き上げるべきだと考えています。

この年代観から云って、ホケノ山の二重口縁壺は時期的にどのあたりにおとせば整合がとれるのでしょうか? 10個以上の壺があるようですが形式的に時期差があるのですか?。尋ねてばかりですみません。

玉枕さんどうもです。
>あの柱穴を捨てるべきか拾うべきか、それが問題だ!

明日、現地説明会に行ってまいります。聞けるようだったらきいて報告させて頂だきます。
 

既知の歴年代遺物

 投稿者:翌檜  投稿日:2009年11月14日(土)18時40分43秒
編集済
  こんばんは
皆様方には読みづらいところをお読み戴き感謝致します。

当世さん、しびれを切らしての追加レス申し訳ございません。本日、仕事につきご容赦ください。

>>既知の歴年代遺物
ホケノ山古墳に限って申し上げれば、
・纏向遺跡内にありながら、墓構が定形前前方後円墳の様相を呈している
・三世紀前半将来と云われる、画文帯同向式神獣鏡が副葬されている
・東海系と云われる祭祀土器・庄内式2平行S字口縁甕が周溝から採取されている
・庄内式4指標纏向遺跡辻土坑からも同じ加飾口縁壺が採取されている
・同溝からは庄内式4河内甕も採取されている

等々がいえるのではなかいでしょうか。
関川尚功氏は布留式土器をもって古墳時代と定義される。その場合、当世さんご指摘の甕・壺・器台等一群の完成をもって土器型式編年の画期とされております。氏はホケノ山にみる小型丸底土器をもって古墳時期に入ったとはせず、甕、壺、小型器台等各々の制作時期のズレにかかわる時期は庄内期に含めておられます(土師器と須恵器/季刊考古学P20)。

今回の「邪馬台国102号」本はホケノ山採取炭化小枝のC14BPから算出された確率51.2%を元にホケノ山年代を4世紀中ごろに誘導されております。どういう状況で埋葬土に混入したのか不明な資料より、明らかに埋葬時のものである木棺のC14BP年代が優先されて然るべきと考えるのですが。
 

土器編年

 投稿者:当世奇妙  投稿日:2009年11月14日(土)13時56分42秒
  土器編年は現在でも学者によって意見がかなり異なると思います。
一定の種類の土器(甕など)を元に編年する人と、複数種類の土器の組み合わせで
行う人、単独土器でも甕や壺など対象が人によって異なります。庄内式土器研究会は
全国規模で並行関係を議論して重要な成果を上げましたが、主として単独の土器を
基に研究したので疑問を投げる人もいます。
纏向型土器の編年と庄内式・布留式の編年がだぶるので我々素人には混乱をもたらしますが
橿考研の平成11年度秋季特別展『古墳のための年代学』は土器編年研究の歴史を写真を
多様して示しているので参考になります。
纏向遺跡の南溝・辻土杭、大阪府の船橋遺跡などからの土器編年、原口正三氏・田中琢氏・石野博信氏・寺澤薫氏などの編年の苦闘は土器研究の面白さと難しさを教えます。
庄内式は原口氏の「甕における船橋K1タイプの特色ある形式」をもとに、発掘に参加した
田中氏が1964年に提唱したとしています。この庄内式の提唱は特定の土器では
なく土器群(甕、壺、高杯などの群)に対してです。

http://www.npo-rich.jp/modules/tinyd0/

 

百済語の親戚

 投稿者:素里奈  投稿日:2009年11月14日(土)10時51分41秒
  主格の助詞「伊」の存在理由
戦後東洋史学者の江上波夫氏が唱えた「騎馬民族征服王朝説」は史学的な見地からの仮説ですが、言語的な観点から新村出教授は日韓の文法に関し、つぎのような主旨のことを述べておられます。

宣命にはしばしば登場する主格助詞「伊」があり、今日の言葉で言う「が」に相当する。有名な弓削道鏡(ゆげのどうきょう)や百済王族の敬福(けいふく)などが「何々した」というと「道鏡伊」「敬福伊」としている。現在の日本語では使われていないが韓国語では古代以来ずっと使われているのである。(中略)日本語には征服者の「伊」に近いものが、それ以前の土着語(弥生語から発生した)にあったのか、もしくは新しく入れられるような文法構造だったのです。(中略)現日本語では「伊」の代わりに「が、は、」もつかいます。古代韓国語の主格助詞「伊」(い)は一つでした。今日でもバッチム(「ハングル」1音節中の末尾の子音(字)「終声(字)」のこと「括弧の中・参照者加筆」)がつく場合は「伊[이]」を使います。そうでない場合、つまりバッチムのない場合には日本語と同じように、多くは「が」となります。日本語から「伊(い)」が消えた理由は、語頭母音化が多くなり、母音衝突を避けるためであったからでしょう。(『日本語の正体』三五館刊 金容雲教授)

かの有名な「天気晴朗なれども波高し」              を韓国語にして読んでみる。
     「chongi  chonran  hana  nabur i (イ) noputa」
Chongi(天気 )chonran(晴朗) hana(であるが )nabur(波) i (イ・伊=が) nobputa(高い)
音読のチョンギ(天気)チョンラン(晴朗)ハナ(であるが)ナブル(日本語の波)イ=が
ノプタ(=高い=日本語の「のっぽ」)。
天気晴朗は日本語のままで韓国人にも通じる。舌のまわりが不慣れな響きだけ。ハナは、ハタ・ハゴは「する」」した・動作性名詞」デアル気象のようす。ナブルは、水面の表情・水の皮が揺れ動くナブル=日本語の「波」ノプタ=高い=のっぽ(背高のっぽ)。

新村出教授の「伊」の説明を参照者なりに噛み砕いて解くと、以下のようになる:−
その人が「韓国語の「其の人が=(其=キー サラム(人)イ(伊) 何 なにした。其のソニョ「少女」イ(伊)が何 なにした。 今でも韓国では、大統領「が」何・なにした、を=大統領イ(伊)言い換えて「が」云々「しかじか」した、を表現する際にこの「イ・伊・(大統領이・イ・)」を日本語の「が、は」の代わりに使用する。論点:上記のように現代の日本語の中には、韓国語がそのまま生きていて、無意識に使用されているということ。
 

お邪魔します。

 投稿者:素里奈  投稿日:2009年11月14日(土)10時49分22秒
  御専門の遺跡・木管のお話たけなわな紙面に、言語のお話で“場所ちがいの感あり”ですが、せっかく調べたものなので、投稿します。  

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