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“宇土半島”

 投稿者:玉枕  投稿日:2009年11月25日(水)21時04分12秒
  以前、古道の探検をしている時、「半島の基部は重要なところ」と教わった。
確かに!宇土半島もその基部には遺跡が多い。
まずは宇土市役所を訪問して教育委員会で地図や遺跡の紹介を受けた。
宇土では「馬門石の石切り場」を行程に組みたいと思っていたので、その資料をいただく。

通称、「阿蘇のピンク石」、この石材が他地域へと運ばれていた時期があった。
この石材が運ばれていた地域、使用された古墳との関係は5世紀後半の古代史の解明に何かヒントがあるように思われる。私にとって、ここはどうしてもクリアしたい点である。
自らの墳墓に馬門石の石棺を使用している人々の人間模様の背景に半島への関与と水軍の存在があるのではないか? 宇土半島基部の遺跡に注目したい。

いただいた資料には、宇土半島周辺で馬門石を使用した古墳で最も古いのは5世紀前半の長砂連古墳の石室材。以後、千金甲古墳、鴨籠古墳、井寺古墳で使用されている。同じ頃、岡山県吉備地方の造山古墳に馬門石製の石棺が運ばれている。

5世紀末から6世紀前半には大阪府峯ヶ塚古墳、長持山古墳、又、今城塚古墳に使用されている。この時期は地元の古墳には使用されていない。
6世紀後半近畿地方へは運ばれなくなり、地元、宇土半島基部の古墳に使用されている。
6世紀末になると再び、馬門石の石棺が近畿地方へ運ばれるようになる。
推古と竹田皇子の合葬陵、奈良県植山古墳に馬門石製の石棺が完全な形で見つかっている。

宇土と推古との関係が注目されると資料にはある。額田部と宇土半島、火の君一族、宇土半島基部には古代が凝縮しているようだ。
 

Re.阿蘇のリモナイト

 投稿者:玉枕  投稿日:2009年11月25日(水)17時14分10秒
  粗忽屋さま、いつもありがとうございます。さっそく検索させていただきました。
おかげ様でリモナイトの知識を得ることができました。

弥生時代以来、九州各地で頻繁に使用されたベンガラが阿蘇地域の特産品として、この地を潤していたことが理解できました。
又、この地域の装飾古墳文化にそれが反映しているのでしょうね。

カルデラ内では牛や馬が自由行動! 阿蘇全体で5万から6万頭が放牧されているようです。
農家ではデコポン栽培がさかんのようで、デコポンのゼリー、ボンタン飴なるデコポン飴が人気のよう!
弥生時代からの特産品、ベンガラは、今やその幅広い効用を利用して新たな特産品となって熊本の産業に貢献しているようです。
 

阿蘇のリモナイト

 投稿者:粗忽屋  投稿日:2009年11月25日(水)16時11分0秒
  阿蘇カルデラの中で山ほど取れるありがたい鉄源ですが、これ、ほんとにすごいです。
粉状のリモナイトをフライパンで数分熱すると、あっという間にベンガラになります。

九州一円での葬送祭祀に関連した朱の元としてずいぶん由緒正しいようですが、
今ではペットのにおい消しや土壌改良剤などとして売られています。
「阿蘇 リモナイト」で検索かければ、いろいろでてきますが、
http://www.limonic.co.jp/what/rekisi.htm など、ご参考まで。
 

“鞠智城”

 投稿者:玉枕  投稿日:2009年11月25日(水)13時01分19秒
  来年の熊本の遺跡めぐりでは鞠智城跡をコースに入れようと計画していたので、今回の旅で下見に行った。やはり現地を見ることで見学にどのくらいの時間配分が必要か判断材料になる。

鞠智城は現在の山鹿市と菊池市にかかる丘陵(標高145m)に7世紀後半に築かれた古代の朝鮮式山城。文献にはその築造時期は記されていないが白村江敗戦当時、唐・新羅の侵攻に備えて大宰府の防衛の背後の山城として軍備・食料などの確保、拠点として築造されたと推定されている。

発掘調査の成果から、この丘陵上には「鼓楼」をはじめ、高床倉庫群、平地式建物、校倉式建物など用途に分けられた建物が存在していたことが明らかにされている。
これらの築造には白村江後の百済からの王族や関係者の関わりが指摘されている。

熊本空港から60分、見学して昼食になるので史跡内の長寿館で昼食の下見?味見も!
味見ばかりではと思い、何か資料を購入しようと温故創生館に。カメラ撮影OK!

本棚の書籍を眺めていたら詳しい解説書があったので受付の方に購入できるか伺ったら「在庫無」とのこと。せっかく来たのだから、さらにもう一歩踏み込んで「何か資料はありませんか?」奥の事務所から男性の方が出ていらした。

何と以前お電話で話したK氏、その方! ご好意で色々な資料をくださった。
興味深い木簡の出土もあり、遺跡見学と合わせていずれ鞠智城跡の遺構から窺える当時の様子を改めてレポートしてみたい。
K氏に、この遺跡での解説をお願いし来年の訪問に余韻を残し、鞠智城歴史公園を後にした。
 

“阿蘇山”

 投稿者:玉枕  投稿日:2009年11月25日(水)11時47分36秒
編集済
  連休を阿蘇で過ごした。唐代までの中国正史に書かれている(知られていた)日本列島の山の名前は唯一、阿蘇山!

早朝、窓から外を眺めると辺り一面真っ白!雲海?霧?阿蘇の盆地は雲海が下りて来てすっぽり覆われると聞いていたが・・・急いで阿蘇山(五岳の総称)に向かった。
太陽の日差しが強くなる。畑の地表から湯気が立ち上っている。霧だった!
あっという間に視界が開け、阿蘇山の岳が姿を表した。青空に稜線がくっきり!中岳の火口まで行ってみよう!

途中、畑の集落が点在するあたりに湧き水が出ており、ペットボトルに汲んだ。まろやかな水だ。
近くには「霧神社」があり火焚き神事が行われているようだ。今朝の霧を見ても、畑の作物の被害を祈る神事は人々の強い願いであったことは容易に理解できた。

草千里まで登った。ガスが発生して通交止め。火口までは行けなかったが、ピンク色の石を買ってお土産とした。(しまった!空港の荷物検査で引っかかってしまった!)

阿蘇外輪山に囲まれた盆地の北西部には村上先生のご研究で、弥生時代後期の鉄製品1000点以上を出土させている集落が点在しており、中九州の弥生時代の鉄器の保有量を誇っている地域とのこと。鍛冶工房も10軒ほど確認されているようだ。
盆地を囲むように上から黒川、下から白川の流れが西の先端で合流して有明海に注いでいる。
当時の交通ルートであったと思われる。その流域にも鍛冶工房があり、大量の鉄器が出土する大集落址が点在していることが確認されている。
阿蘇地域をふくむ中九州が北部九州との関係を維持していた背景を村上先生は黒川流域の明神山鉱山の褐鉄鉱から採集したベンガラの特産品が有効に機能したとおっしゃっていた。

来年の中九州の旅で阿蘇地域を訪れたいと思っているが遺構が残されているものはほとんどないようだ。
5月はミヤマキリシマの季節、阿蘇外輪山の盆地の風景を眺めるだけでも阿蘇を堪能できるでしょう。
 

29日研究発表会のための準備完了 マルタ島巨石文化

 投稿者:サントバーバロ  投稿日:2009年11月24日(火)22時33分57秒
  11月29日池袋生活プラザにての研究発表会のための準備がやっと完了しました。会報にはテーマを掲載できませんでしたが、[地中海マルタ諸島巨石文化に関する考察]というテーマにて取材した写真8ページ、レジュメ5枚をやっとこさ仕上げました。英文資料を読んで何とかまとめましたが、講演会講師の先生方のレジュメつくりの大変さを痛感しました。古代エジプト、英国のストーンヘンジよりも古い巨石文化のすごさを実地視察の資料を添えて発表します。平山さんに頼んで最後の発表者にしてもらいました。マルタ島の紀元前3000年のころの古代人の葬祭儀礼や地下神殿(Hypogeum)などをご紹介します。日本の仕石器時代縄文文化と比較しながら考察したいと思います。  

自明でない概念

 投稿者:素里奈  投稿日:2009年11月24日(火)20時26分0秒
  東アジア―自明でない概念―歴史から共通の理想を
藪から棒、見たまま聞いたまま、感じたままを参照して記す。
“「日本はいかに朝鮮や中国と違うかを描き出すのが、近代の国民国家の歴史学だった。その結果、日本史や韓国史など現在の国の枠組みとした歴史が描かれてきた。だが、これから必要なのは、彼らと私は何が共通なのかを見いだすことなのではないか」
――――――――――――――――――――――――――――――――――
『東アジアの歴史』では、可能な限り漢字を再称した。ベトナムの最初の歴史書を著わしたのはチャン朝のリーヴアン・フーではなく、陳朝大越の儒学者の黎文休[Le van Huu]と知れば、親近感もわいてくる。「東アジアの歴史は基本的に漢字で語られてきた。カタカナやハングル表記になって、共有する歴史の間に高い壁ができ、近代以前の歴史がわからなくなっている」   東アジア共同体のために必要なものは何なのだろう。「精神面、認識面の戦後処理が終わっていない。日本の政治家は東アジアの共通の過去を重視しなかったし、今は話をしない方がいい、と思ってきたのだろう。歴史を見つめることを通して欧州は共通の理想を掲げ、その上に共同体を構築した。なぜ共同体が必要なのかを東アジアのも歴史の中に見いだすことがたいせつなのではありませんか」“   (独・ボン大学 ツェルナー(Reinhard  Erich  Zo”llner)教授に聞く)。[朝日新聞 2009・11・18の記事より]抜粋。

ボストンの仁徳陵出土品
アメリカのボストン美術館に仁徳陵出土とされている環頭大刀などが収蔵されている。これらの品は、明治41年(1908年)にすでに博物館に所蔵されたようで、梅原末治氏によって紹介されている。  ᜀ鏡は細線式獣帯鏡で、青龍청룡(東方の守護神を象徴する四獣の一)、白虎(백호)『天』西方の七宿,『民俗』天の西方を守る太白神태백신を象徴する獣、朱雀(쥬새)南方の神、玄武현무亀によって象徴される北方をつかさどる神、などの霊獣を文様とする立派なもので、後漢製の舶戴鏡と推定される。しかし、百済の武寧王稜からの同種の鏡が発掘され、中国の南朝の製品という可能性もある。
ᜀ刀は、刀身が折れてなくなっていて、長さ23センチの把(にぎり)、柄)と環頭(柄尻)残っている。環頭は鋳銅で形をつくり、その上に金鍍金がしてあり、環のちゅうおうには龍の首を調刻し、竜首を取り巻く環には双竜を浮き彫りにしている。把には連続して三角形の中に禽獣を浮き彫りにした帯状の飾り金具を付けている。この類似品は南朝鮮の新羅や任那の古墳から出土している。論点:大仙古墳中の仁徳陵が仁徳陵墓の説は極めて薄い仮説、というのが参照者(私)の推測である。(大仙陵古墳―Wikipediaより抜粋)。もしこの被葬者が仁徳その人である場合であっても、被葬者は朝鮮渡来の王である可能性を感じる。(壁画に見る四神の四方・方向分け、ハングル解説は、素里奈付記・加筆による)。
 

当世奇妙さんへ

 投稿者:福島雅彦  投稿日:2009年11月24日(火)14時42分24秒
  >可能性の一つとして頑張ってください。

※考古学の説の殆どは、仮説の域を出ていません。
*箸墓の主も不明、仁徳天皇稜も「伝…」が付いていますし…。
∴九州皇統の廟だから被葬者が不明なのではないか、とする仮説も同等かと。
 

福嶋さんへ

 投稿者:当世奇妙  投稿日:2009年11月24日(火)07時51分41秒
  福嶋さんの発想はなかなか面白いと思います。
纏向=卑弥呼の都論で組み立てるのと、纏向=キナイ関連政権(九州は入らない)では
組み立てが異なることを示しています。
但し福島仮説に全面賛成と言うことではありません。
可能性の一つとして頑張ってください。

http://www.npo-rich.jp/modules/tinyd0/

 

当世奇妙さん

 投稿者:福島雅彦  投稿日:2009年11月23日(月)21時40分1秒
  ご賛同に多謝 謝々!

※この道四十年、工事現場暮らしを経てきましたから、ピンと閃きました。
*川から水路が引かれていたのは、作業員用水洗トイレです。
*板を二枚隙間を開けて掛け渡すだけです。
*地面の穴に排泄していたら、場所が無くなりますから…。
 

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