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東アジア―自明でない概念―歴史から共通の理想を
藪から棒、見たまま聞いたまま、感じたままを参照して記す。
“「日本はいかに朝鮮や中国と違うかを描き出すのが、近代の国民国家の歴史学だった。その結果、日本史や韓国史など現在の国の枠組みとした歴史が描かれてきた。だが、これから必要なのは、彼らと私は何が共通なのかを見いだすことなのではないか」
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『東アジアの歴史』では、可能な限り漢字を再称した。ベトナムの最初の歴史書を著わしたのはチャン朝のリーヴアン・フーではなく、陳朝大越の儒学者の黎文休[Le van Huu]と知れば、親近感もわいてくる。「東アジアの歴史は基本的に漢字で語られてきた。カタカナやハングル表記になって、共有する歴史の間に高い壁ができ、近代以前の歴史がわからなくなっている」 東アジア共同体のために必要なものは何なのだろう。「精神面、認識面の戦後処理が終わっていない。日本の政治家は東アジアの共通の過去を重視しなかったし、今は話をしない方がいい、と思ってきたのだろう。歴史を見つめることを通して欧州は共通の理想を掲げ、その上に共同体を構築した。なぜ共同体が必要なのかを東アジアのも歴史の中に見いだすことがたいせつなのではありませんか」“ (独・ボン大学 ツェルナー(Reinhard Erich Zo”llner)教授に聞く)。[朝日新聞 2009・11・18の記事より]抜粋。
ボストンの仁徳陵出土品
アメリカのボストン美術館に仁徳陵出土とされている環頭大刀などが収蔵されている。これらの品は、明治41年(1908年)にすでに博物館に所蔵されたようで、梅原末治氏によって紹介されている。 ᜀ鏡は細線式獣帯鏡で、青龍청룡(東方の守護神を象徴する四獣の一)、白虎(백호)『天』西方の七宿,『民俗』天の西方を守る太白神태백신を象徴する獣、朱雀(쥬새)南方の神、玄武현무亀によって象徴される北方をつかさどる神、などの霊獣を文様とする立派なもので、後漢製の舶戴鏡と推定される。しかし、百済の武寧王稜からの同種の鏡が発掘され、中国の南朝の製品という可能性もある。
ᜀ刀は、刀身が折れてなくなっていて、長さ23センチの把(にぎり)、柄)と環頭(柄尻)残っている。環頭は鋳銅で形をつくり、その上に金鍍金がしてあり、環のちゅうおうには龍の首を調刻し、竜首を取り巻く環には双竜を浮き彫りにしている。把には連続して三角形の中に禽獣を浮き彫りにした帯状の飾り金具を付けている。この類似品は南朝鮮の新羅や任那の古墳から出土している。論点:大仙古墳中の仁徳陵が仁徳陵墓の説は極めて薄い仮説、というのが参照者(私)の推測である。(大仙陵古墳―Wikipediaより抜粋)。もしこの被葬者が仁徳その人である場合であっても、被葬者は朝鮮渡来の王である可能性を感じる。(壁画に見る四神の四方・方向分け、ハングル解説は、素里奈付記・加筆による)。
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