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表題の問題は、古くて常に新しい問題でもあるので、今一度考えてみたいと思います。
王仲殊氏は、景初三年(239)銘画文帯同向式神獣鏡を出土した大阪府和泉市黄金塚古墳出土の「画文帯環状乳神獣鏡」が、揚子江流域のがく城西山55号墓出土の画文帯環状乳神獣鏡に酷似していることを指摘されています。私はこのほかにもう一枚、神戸市灘区に所在する西求女塚古墳(西摂津)出土の画文帯環状乳神獣鏡(6号鏡)も加えたいと思います。
西求女塚古墳出土の画文帯環状乳神獣鏡の内区主文と、西山55号墓出土鏡の内区主文は同型鏡と見紛うばかりでなく、王仲殊氏が指摘されている「半円と方格の下の六個ないし四個の小弧文や、方格の上の両角の外側のそれぞれ一つの小さな圏点がある」という細部までも一致しています。
更に西求女塚古墳出土鏡は、呉郡胡陽張元銘鏡にも酷似しています。王仲殊氏によればこの銘は、呉郡の胡陽という所で、姓は張、名は元という人によって造られた鏡だとされています。重要なことは三角縁神獣鏡の中に、張氏作銘の三角縁神獣鏡が存在することです。この事は、三角縁神獣鏡を造った人の中に、呉の胡陽の鏡師張氏その人か若しくは門下生で張氏を名乗っていた人がいたということになります。
西嶋定生氏は、「呉は、西暦233年、将軍賀達が1万の軍士と共に策書、金虎符等を携えて公孫氏に送った」とされています。(『3世紀の中国と日本』 古代を考える 39)。この中に呉の鏡師陳氏だけでなく張氏もいた可能性が十分にあります。何故なら、呉の系統の神獣鏡が楽浪で出土するのは、この鏡を造り得るのは彼らしかいないはずだからです。
西求女塚古墳の中に、三角縁四神四獣鏡(8号鏡)があります。この鏡は張氏作鏡であることが分かります。何故なら、この鏡の銘文に張氏作の銘文に続く「甚大工上有王喬以赤松子」という張氏特有の銘文を持っているからです。張氏作と思われる画文帯環状乳神獣鏡と張氏作三角縁神獣鏡が同じ古墳から出土することは、これらの鏡を同時に貰ったことを示唆しています。
西求女塚古墳出土の画文帯環状乳神獣鏡の銘文の最後に「師」の文字があります。西晋の時代では、師の文字を使うことが避けられていたといわれていますから、この鏡が西晋以前の魏の時代の鏡であったことが分かります。そして卑弥呼の銅鏡100枚のうちの一部の鏡だったことを十分示唆しています。以上のことから、西求女塚古墳が、台与が西晋に遣使を送った西暦266年以前に、古墳の造営に着手していたことも分かります。
吉備の車塚古墳には、画文帯同向式神獣や三角縁神獣鏡と共に、内行花文鏡が出土していることから考えて、三角縁神獣鏡は、画文帯同向式神獣鏡や画文帯環状乳神獣鏡、内行花文鏡、方格規矩鏡などの漢鏡100枚の不足分を補うために造られたと考えられます。なぜ三角縁神獣鏡が選ばれたのかといえば、卑弥呼が魏に遣使を送った時すでに公孫氏の時代に倭がホケノ山古墳や萩原1号墳で出土している神獣鏡を好んで手にしていたことを楽浪太守から聞いて知っていたからだと思われます。 長くなりましたが以上です。
参考文献
『三角縁神獣鏡』 王仲殊 学生社
『西求女塚古墳 第5次、第7次発掘調査概報』 神戸市教育委員会
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