|
|
弥生終末の日本列島では北海道、東日本、東北、沖縄、南東諸島はどうでしょうか。
北九州から東海までを見てもその範囲での平準的な交流があったとは思われません。
やはり先ず各地域内の交流があり、次に地域を越えた交流があったと思われます。
地域連合も一挙にヤマト政権範囲になったのでは無く、幾つかの連携・連合が複雑に
かみ合ったのではないでしょうか。私は邪馬台国・伊都国によって停滞した瀬戸内
ルート復活のために吉備・播磨・東海・ヤマト・瀬戸内東南部が連合したと予想しています
。それに豊後・豊前が参加し、次いで奴国が参加していったと予想しています。
地域間の交流の動きのダイナミズムの分析こそが初期ヤマト政権成立の動き解明と
思われます。
http://www.npo-rich.jp/modules/tinyd0/
|
|