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>特殊器台形祭祀より早く奈良盆地に定着した別の祭祀形態だと考えています。(プレアデス)
今年度の桜井茶臼山古墳の調査により、これまでの数次における調査報告と合わせて、奈良盆地に出現した初期、巨大前方後円墳の中身が明らかになりつつあるように思います。
先日、提示した大阪大学考古学研究室からの『桜井茶臼山古墳の研究』において茶臼山古墳の墳丘のあり方が確認され、それをもとに澤田秀美氏が述べている論考は大変興味深く読ませていただきました。
プレアデス氏が二重口縁壺を墳丘の埋葬部のまわりに置く祭祀は特殊器台祭祀より早く奈良盆地に定着した別の祭祀形態だと考えますとのお考えは、茶臼山古墳が如何に成立したかを考えていく上で築造技術からも吉備の特殊器台を用いた系譜とは分かれるようです。
前方後円墳の成立を考える議論が専門家の先生方によって集約されてきたように思います。
根幹はやはり東瀬戸内の鶴尾神社4号墓から派生し箸墓系列と桜井茶臼山系列に分かれて五社神古墳までに発展していく過程がみえます。
桜井茶臼山古墳の成立に南丹波の黒田古墳の築造をもって可能だとの氏の指摘は、山城の椿井大塚古墳との類似性からも興味深いお考えだと思います。
そうなりますと、時代は弥生時代終末期、西暦200年代にこうも広範囲な人の移動、交流が可能な社会は、『魏志倭人伝』を当初読んだ、列島社会のイメージとは程遠い社会であったことを認識させられました。
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