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大伽耶(加羅)の除正

 投稿者:玉枕  投稿日:2009年 7月 2日(木)23時43分11秒
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  基調報告をされた小林敏男先生は「倭王武の時代の対外関係と稲荷山鉄剣銘」と題し、主に対外関係を報告された。
「倭五王」の時代は唯一、半島に深く関わった時代で、冊封関係に積極的に関わったのは倭の五王だけである。五世紀の倭の時代は軍事政権だったと小林先生はよむ。

450年頃は高句麗の南下が活発になり、「済」と「武」の時代には対高句麗との戦争を準備した時代と言われる。
しかし、倭の5人の王のことは『日本書紀』は語っていない。
何故、日本書紀の編者は『梁書』を読んでいるはずなのに倭の五王のことを記載しなかったのだろうか?

5世紀段階から栄山江流域には、ヤマトノミコトモチやホズミノオクラなど国籍のない時代ゆえ、韓子(合いの子)などの倭系の軍人がいた。
彼らは半島南部の交易拠点、軍事拠点にいてどのような動きをしていたのだろうか?

大陸の北方民族の南下とともに高句麗も南下、北魏に攻められないよう北魏と交渉、南朝には除正した。百済は高句麗に阻まれて北とは朝貢できず、南朝と交渉し除正を求めている。
注目されるは、加羅国王も南朝に対して除正し、認められている。

倭も倭隋以下13名と倭済以下23名が除正して軍郡の将軍号を得ている。
ここに半島で軍事活動をしている倭を名乗る人々がいる。

『日本書紀』が語らなかった当時の「倭」の動きは『好太王碑文』の出現でさらに明らかになる。
加羅(伽耶)が滅亡し、6世紀以降、倭は南朝には通貢していない。半島からも引き上げている。

昨年、奈良に旅した時、曽我川が流れるブドウ畑の中に飛鳥部神社を見つけた。
昆支王が祀られていた。

河内王朝を形づくる人々、武内宿禰を祖とする人々の列島での存在が注目される。
 
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