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上田正昭先生の記念講演では先生がこれまでに主張されてきた「倭国から日本へ」の7・5・3論争において、「日本の国家の成立を何時とみるか?」の論拠が稲荷山鉄剣銘文に刻まれており、大和朝廷の成り立ちを考える上で稲荷山鉄剣銘文は重要としている。
5世紀にすでに倭国は“治天下”の思想が成立しており、5世紀の王者は“ワケ”を名乗り、やがて大王家のみが“ワケ”を独占し、その他は“オミ”とか“キミ”を名乗っていたことが判り、氏姓制度の萌芽が見える。
“杖刀人”とか“典曹人”のような官人がすでに存在し、官人組織を含む府中が整備されており、5世紀には内廷と外朝が成立していたと見る。
朝鮮半島の金石文には「中」が多く使われており、江田船山古墳出土大刀銘文には書者が張安と書かれており、稲荷山鉄剣銘文も朝鮮半島から渡来した渡来人の可能性が高いとされる。
それにしても稲荷山鉄剣銘文は“漢字を使った和文”ですよね。漢文ではない。
倭の上表文はもちろん“漢文”江田船山古墳大刀も“漢文”。
稲荷山鉄剣銘文は私にも読めて意味も通じる。辛亥年471年にすでに読み下し文が存在していたことに驚いています。
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