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いとなさん 楽しい快気炎でした。鼎談ならもっと話が弾みましたでしょうね
>津寺遺跡から出た「手あぶり形土器」について、拙宅の貧弱な蔵書では確認できませんでした
手元に、高橋一夫 著 〔古代東国の考古学的研究〕六一書房 があります。
それによると。火鉢に似た形の手焙形土器は、大阪湾沿岸地域で出現し全国で740体あります。
煤がついているのが92体で火を燃やして使う農耕祭祀用とされています。
足守川流域の5つの遺跡からは81点が出ています。
内訳は・・・・津寺遺跡37点。加茂A7点・加茂B遺跡 28点。矢部南向遺跡8点。
政所遺跡1点です。
足守川流域の手焙り形土器は、バリエーションが多いそうです。
在地形手焙り形土器と非在地の他地方で流行した器形と文様のものがあります。
たとえば覆部に綾杉文を持つものは近江や山城との交流を物語るとされています。
翻って、足守川流域はいとなさんが大変な興味をお持ちで、私も、弥生後期の2世紀ー3世紀初めの、上東遺跡の波止場と製塩土器、纏向古墳の祖形である楯築墳墓、吉備甕の工房のあった津寺に関心があります。
いとなさんが詳しくお調べのように、吉備甕は250−350年に津寺から西は福岡の西新へ東は河内から大和川沿いに柏原・船橋から纏向まで広がっています(奈良文研の次山淳先生の研究)。
手焙り形土器は、2世紀後半から4世紀はじめの約150年間に亘り存在するようです。
大和川流域の大阪府八尾の小阪合遺跡から3世紀の手焙り形土器が2008年4月に発見されました。
覆部に鹿と船が描かれています。農耕祭祀用とされています。千葉県の神門3号と高部30・32号にも手焙り形土器が出ています。
いとなさんは、遼寧(遼西・東)から倭国への民の移動に関心がおありだそうです。
開陳いただけませんか。
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