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しゃくやくさん、玉枕さん、
胡四王神社のこと、スサノヲ神社のこと、ありがとうございます。
牛頭天王社は日本海では新潟あたりまではあるようですが、それより北ではどうなのか、気になるというべきか興味があるというべきか・・です。しらべてみたいと思いつきました。
スサノヲをふるくから祀ってあった神社は全国でみても少なく、近代になって牛頭天王社からの看板の掛け替えが多いのでしょうね。
夏期の流行病への恐れが生み出した信仰現象とみると、半島から渡ってきた当初は行疫神は武塔(むたふ)でした。備後の国の風土記の記述(として釈日本紀に紹介された)ですが、一夜の宿を貸した蘇民の一家を助け、宿を貸さなかった将来の一家を殺します。武塔は無差別に人を殺す神のはずが、武塔の後身の牛頭は蘇民将来と組んでコタン(古丹、巨旦)将来と大戦争を戦う話に変わっていきます。武塔の位置に菅原道真が入ることもありました。
一番なやましいのは、釈日本紀の文中に武塔の神が「吾は速須佐の雄の神なり」と言っていることです。何故、あるいは、いつから、武塔とスサノヲが同一人物(神)視されるようになったかです。武塔の名は記紀にはでてきません。記紀のスサノヲに疫病神の姿がみえるわけでもないと思いますし・・。
スサノヲの系譜、オリジンを考えるとき、簡単にスサノヲを半島からきた神とはいえないと考えております。蘇民将来の物語からスサノヲを半島からの渡来神ときめてしまうと、ナキイサチル小童から地下世界の主となるまでの長い長い物語が説明されずに残ってしまうでしょう。
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