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蚩尤につきまして

 投稿者:土蜘蛛  投稿日:2018年 1月18日(木)23時34分19秒
   「蚩尤」に絡む伝承は色々深いものを感じています。中国の神話に出てくる「蚩尤」は、戦の神、武の神、石や鉄を食べる神として、製鉄との関係が強いと考えられるからです。素里奈様のご質問に対し、的確な答えではないかもしれませんが、私の手元にある本の中から可能な範囲でお伝えしたいと思います。

 ?中国の神話の中の英雄が
②朝鮮半島の(国肇)建国の神の一人とある。
③日本兵主神社(ひゅずじんじゃ)の祭神である。

 先に③からですが、真弓常忠著『古代の鉄と神々』によりますと、日本の兵主神社の「兵主神」は、幕末の国学者小山田与清が、『松屋筆記』の中で、『史記』封禅書にある「兵主神」に結びつけたところから、中国の武神とする説がとられてきたとのことです。封禅書には、「天主・地主・兵主・陰主・陽主・月主・日主・四時主」の八神のうちで、「兵主は蚩尤を祀る、蚩尤は東平陸藍郷に在り、斉之西境なり」とあり、「五帝本紀」に「蚩尤は最も暴を為す、伐つこと能はず。」とあり、蚩尤は山東半島にいて、その特徴として「兄弟は八十一人いて、みな獣の身で人の言葉を語り、銅の頭、鉄の額をもち、沙を食って五兵を造り、杖刀をもって激しく戦い、威は天下に振るった。」としているとのことです。この蚩尤の姿ですが、天台座主であった僧良源が、鬼の姿と化した角大師、元三大師の姿によく似ています。なぜなのかはよくわかりませんが・・・。
 兵主神を祀る神社は、但馬に集中していること、「兵主(ヒョウズ)」を「ヘシ、ベシ」と通ずるとして、『和名抄』にある鉄鏃を意味する「ヒシ・ヘシ」との関連を指摘されています。「ヒシ・ビシ」は南太平洋の鉄と言う語の「besi」と一致するとのこと。

 ②の朝鮮半島の建国の神の1人となっていたことは知りませんでした。鉄や武の神であれば、その伝承を携えてきた人々が混在していたということでしょうか・・・?

 以前に読んだ本で、時間が経ているので忘れていましたが、尾関章著『両面の鬼神 飛騨の宿儺伝承の謎』というのがあり、蚩尤との類似点などを挙げており、大変面白いです。両面宿儺と角抵戯(相撲)時姿との類似性も指摘されています。
 
 

サントバーボロ様

 投稿者:避雷針  投稿日:2018年 1月18日(木)23時21分39秒
  有り難うございます。

牡牛と女性(牛神と女神、牽牛と織女)-七夕-相撲の関係は、私が楽しく取り組んでいる長年のテーマです。
うまくいけば東西ユーラシア交渉史の一つの項目になりうるかと思っていますが、今後これ以上進展しないかもしれないので、途中で簡単に報告することにしたものです。
西ユーラシアの古代遺跡の牡牛と女性の像の関係に関して、マリヤ・ギンブタス女史あたりが何か言っていないかと調べたことがありますが、今のところ分かっていません。七夕や相撲との関係は、東ユーラシアにおける特色なのかもしれません。
東西に分岐したとすると、それが中央アジアのどのあたりであったかということも課題です。(今のところ、アルタイ山脈のあたりを想定していますが。)

サントバーボロ様の台湾の次の企画、頑張ってください。
 

牽牛と織女の話

 投稿者:サントバーボロ  投稿日:2018年 1月18日(木)21時21分26秒
  韓国の童話にも牽牛と織女の話が載っています。この間これをテキストで使いました。
牛はオリエント世界では聖なる動物として崇拝されています。エウロペの話も興味深い話です。
ミトラ教関係の遺跡をローマ時代の遺跡でよく見ました。
避雷針さんの投稿が大変示唆に富んでいます。大いに参考になります。

感謝です。石田英一郎の<河童駒引考>まで引用されさすが勉強されています。敬服です。
 

倭について

 投稿者:万事一滴  投稿日:2018年 1月18日(木)12時12分42秒
   避雷針さま


 アジア史の中の倭を浮き上がらせようと稲作を話題にさせていただいたものでした。
 倭については未だ課題山積とのご認識と受け賜り安堵いたしました。

 最近では、歴史学に江戸期?に登場し、維新を経て、国史に投げ込まれた感のある倭は、維新期の国史創生の一環だったのではと感じています。

 維新は今も伏流、反流の形で密かに進行しているように思われるのですが。

 
 

蚩尤

 投稿者:素里奈  投稿日:2018年 1月18日(木)12時00分3秒
  蚩尤のことを読んでいて・王莽を知ることが出来たのですが、王莽は生の人間で実在した。前者の蚩尤は神話の中の存在。
 わからないのは
?中国の神話の中の英雄が
②朝鮮半島の(国肇)建国の神の一人とある。
③日本兵主神社(ひゅずじんじゃ)の祭神である。
  乞うご教示・宜しくお願い致します。


余談
漢火徳説
水徳・土徳から火徳へ
 諸氏百家の一人・陰陽家(いんようか)の鄒衍(すうえん)「『史記』では騶衍と記すとある。」が宇宙論である陰陽五行説によれば、万物は天・日・男などの陽と地・月・女などの陰との結合により生まれ。生まれたすべてのものは、土・木・金・火・水という五行(いつの要素)によって構成される。これらの中に、「日」曜日以下「土」曜日がすべて含まれているように、陰陽五行説は、中国だけでなく、やがて東アジアの宇宙論の根底に置かれる。

天・日・男   陽
                に依って陰陽五行説が生まれる。
地・月・女   陰

 以上の紙片がポツンと「座右の書」の間に挟まっていた。いつどこからノートしたかはわわからない。
       冒頭の「蚩尤の質問」どなたか宜しくお願いします。

 

万事一滴様

 投稿者:避雷針  投稿日:2018年 1月18日(木)10時50分40秒
  コメント有り難うございます。

<初期農耕、就中、稲作、牛馬、牧畜>
<倭はやはり遅れて稲作を受容した西方に遡る夷ではないでしょうか。>
といただいています。
私の論考では初期農耕や稲作については述べていないので、貴コメントのご趣旨がよく分からないのですが。

私の論考とは別に、後期旧石器時代以来、倭人とは何であったのかを検討するにあたって、それを稲作民として規定するかどうかということ自体、大きなテーマであると思われますので(稲作はいつ頃始まり、その範囲はどこまでであったのか、それを倭人がいつの時代に、どこで受容したのか、そのことが倭人の規定にとってクリティカルであるとするとそれは何故か、等)、貴兄のご活躍を期待します。

 

決め付けについて

 投稿者:K.A  投稿日:2018年 1月17日(水)23時20分7秒
  国立大学の先生は国の統制を受けているという決め付けは誤りでした。「疑わしい」に訂正させていただきます。昨今の東大教授の不祥事をみていますと、国の予算の取り合いで醜い行為をせざるを得ないような状況を垣間見ます。
誠に「一寸先は死」です。
データ捏造した、毎年、何億円という予算をもらっていた教授の教室は、40人いたスタッフが全員解雇され、残された教授も処分待ちという状態です。
お金をもらうということは「すさまじい」ものです。
勿論、そのようなお金からは自由だと考えたいのですが昨今起きている厳しい状況を見ていますと、逆に同情したくなるのが現状ではないでしょうか?
私立大学や私立高校にまで、文部省の役人が天下りしていたことが明らかになったのは、ついこの間ではなかったかと思います。
 

決め付け

 投稿者:当世奇妙  投稿日:2018年 1月17日(水)22時09分45秒
編集済
  玉枕さんの投稿に国立大学の先生は「駄目」などの決め付けは「ダメ」があった。
確かにその通り。

更に玉枕さんの言う!
どんな講演でも一つは来て良かったと思うことがある。
そうでなければ、その気で聞かなければ意味がない。

しかし私は現役時代には案外決めつけていた。

官庁の役人の話はつまらない。
次につまらないのはコンサルタントの話。

優れた学者の話は納得。
一番心に響くのは現場で働き、実践した人の話。

と思っていました。
 

避雷針兄の直近の玉稿三篇を拝見して拙感まで

 投稿者:万事一滴  投稿日:2018年 1月17日(水)21時55分33秒
編集済
   初期農耕、就中、稲作、牛馬、牧畜

 アジアの稲作の始まりは、澎頭山遺跡の15,000年前の炭化米、古スンダランドが陸だった18,000~16,000年前以前に遡ると考えられる古スンダランドを囲む島々の稲作、東京江古田の水面下40メートルの18,000年前ともされる有楽町層から出土した炭化米、等々からも、二万年以前に遡るのではないでしょうか。

 米麦を中心とする穀類は土器があって可能となる作物と思われ、当然、土器の出現も2万年前以前に遡ると考えられ、朧な記憶であやふやですが、小生が疎査した限りでは、大陸でもそうだったと仄聞したように思いますが、民話に麦は伝来の伝承はあるも、米の伝来の伝承は見当たらなかったと承知し、アジアの稲作は最終氷河期以前まで遡ることも考えられるのではないでしょうか。

 ラスコーの牛馬を含む大型動物の精緻な岩壁画ではBC17,000年前だったかに遡るとされることからも、牛馬の使役も米麦栽培と機を一にしていたことも考えられるのではないでしょうか。

 倭についての兄の理解は、小生には、やはり牽強付会に思われます。
 倭はやはり遅れて稲作を受容した西方に遡る夷ではないでしょうか。
 倭は扶桑、日ノ本に遅れて進入し、扶桑、日ノ本に飲み込まれたのではないでしょうか。

 兄の掘り起こしで、相撲はユーラシア史にあらまし定置されたのではないでしょうか。

 
 

歴史は語り継ぐべきか?

 投稿者:K.A  投稿日:2018年 1月17日(水)19時52分52秒
  トミーさまの静かな投稿、胸打たれます。実は問題提起した私自身も同感なのです。
75歳になったら、自己満足でいいから、静かに歴史を調べるつもりです。
今、私は田舎の小さな歴史講座(50人の講座生、全員65歳以上で地方の資料館などは皆タダです)の会長をしてまして、やはり、どうしても10年先、20年先の心配をしてしまいます。
又、現在、新しく出来る市民公民館の設立委員をしてまして、そのテーマが「若い人と高齢者の交流」です。既に音楽室などは防音で10時まで練習できる案(若い人は昼間出来ないため)が決まってまして、佐原ばやしの演奏の練習には問題なくいけそうです。
歴史に関しては研修室と学生の自習室が同じ階にあり、交流し易いような案となってます。
やはり、歴史は若い人に語り継がれて意味が出てくるような気がします。
今はスマホ時代、個人が簡単に歴史を勉強できますが、昔、いろりのそばでおじいさん、おばあさんが子供たちに話しかけた内容もりっぱな歴史だと思うし、このような交流はスマホ時代だからこそ、必要なことではと思います。
又、この会の話に戻りますが、この会で話されていることは非常に貴重な意見が多いと思います、それ故余計に、これらの情報が電子処理によって、奥の方に仕舞われてしまうのが残念です。歴史は語り継がれて欲しいと思います。
 

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