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新井先生のレジメ
投稿者:
そんべ
投稿日:2009年12月 5日(土)00時32分10秒
編集済
12日講演会の新井先生のレジメをみておどろきました。すごい量のデータです。パワーポイントでボードに映し出されるパソコンの画面96頁分です。
最後の「終わりにあたって」の頁につぎのような表現があって、思わず快哉をさけびました。
「世論は、自国の歴史文化が古いのを好み、年代論争では「古い方」を支持する。法隆寺再建論争、旧石器捏造事件、弥生開始時期論などがその例である。それを煽るのが新聞で、いわば、国粋主義的な傾向である。実は、邪馬台国論争もその一環にある。読者が喜ぶから新聞は書く」
(昔山内清男が縄文時代を2500年とか3000年とか言っていたとき、皇国史観一辺倒の後藤守一は7000年〜8000年説だったと読んだことがあります。
後藤がまだ上野の東博にいたころある立大の神学教授・牧師が考古学の趣味から後藤と親交を結んでいました。昭和10年代後半になって教授・牧師は軍部においつめられていました。マッカーサーの到着間もなく立大縁の将校がかけつけ学長以下11名が公職から追放されるのですが、教授・牧師はすでに病床にあって翌年2月亡くなります。後藤と牧師さんがどんな会話をしていたのか、すこし興味があります。)
川崎 真治氏の新著と学問
投稿者:
そんべ
投稿日:2009年12月 4日(金)23時55分18秒
当会の分科会であった〈ことばの会〉の主宰者川崎真治氏が亡くなって2年。会の事務局をながく担当された竹下睿騏氏が、遺稿を整理し、解説を付して、川崎氏の新著がこのたび刊行されました。
『古代史は身近にあり 比較言語学で解く「邪馬台国」』(東洋書店、1800円+税)がその川崎氏の22冊目となる著作です。
中心的なテーマの一つに邪馬台国の国号と所在地があり、「邪馬」「台」2文字のもともとのシュメール語、バビロニア語での神名が仮説として探りだされ、次に現地の考古学的な証拠探しがなされています。
その結果は、同じヤマトでも奈良の大和と九州の山門ではトーテムとされる神が異なっていたとされます。狗奴国のクナと熊本のクマも考察されています。
さて、ここまでは「ニユース」1月号の<会員の新著紹介>記事として書いてみたのですが、川崎氏の研究法について、かってシンパのひとりであったものとして振り返っておかなければならないという思いがあります。
川崎氏の古代はトーテム社会であり、トーテムには氏族の信仰する神の名が石や岩、土器などに刻まれて残っており、後代のわたしたちが今も見ることができるとされています(線刻画)。神々とはシュメール、バビロニア渡来の神々であって、長い時間と大きな空間を経るあいだに音声の変化を受けています。 その変化を解くのに一定の法則をみることができる(グリムの法則)、また神名の多くは60進法の数字で表記されたのだといわれ、たとえば「日神」の表記が「20・数」、発音が「マン・ダ」で日本語の氏名や地名には萬田、免田などになっているとされます(数詞でしめされる神)。萬田・免田から逆に数千年まえの太陽神信仰の跡がたどられるわけです。
線刻画の読みとりについて、グリムの法則の有効性について、数詞であらわされた神の証拠探しについて、わたしたちにのこされた問題があるのでしょう。
来年の講演会
投稿者:
玉枕
投稿日:2009年12月 4日(金)10時10分25秒
編集済
プレアデス様から倭国の公孫氏との関わりに関する展開をご提示いただき、大変興味深く拝見しました。
時に本会の来年度の講演会も“邪馬台国時代の公孫氏との関わり”の講演がいくつか用意されています。
本会のHP「行事案内」のところに今後の予定が掲載されますのでご覧いただければと思います。
新年早々、仁藤先生からは畿内説に立ちながら、公孫氏や魏王権との関わり、鏡の祭祀を主導する卑弥呼王権とやがては前方後円墳が成立してくるプロセスをお話いただけるようです。
又、2月は高久先生をお招きして「楽浪と木槨墓の系譜」と題してご講演があります。
3月には寺澤薫先生の「卑弥呼共立と公孫氏」と題した講演が決定しております。
近年の傾向は、中国史書に初めてみえる「女王国」が魏王朝の成立とともに遣使を送った事実を、前時代の倭国の動向から論じられるようになり、より具体的な姿がみえてくるような気が致します。
講演会担当者のテーマ選択の方向性に拍手!!
遺跡めぐりも頑張ります!
公孫氏の時代
投稿者:
プレアデス
投稿日:2009年12月 3日(木)18時06分31秒
編集済
邪馬台国大和説では、中平年銘のある太刀を入手したのは、その頃卑弥呼が公孫氏に遣使を送り手に入れたものとされていますが、同じ大和説に立つ私は少し疑問に思います。卑弥呼が共立された年代と中平年銘の太刀とは分けて考えるべきだと思います。
何故なら、当時朝鮮半島の情勢は、霊帝(168〜188)末は、韓、穢(以下ワイと表記)が強勢で、郡県は制御できなかったという状態でした。とくにワイが強勢であったことに留意する必要があります。山尾幸久氏によれば、「漢末は、すでにワイが高句麗に属していた」とされています。(『魏志倭人伝』 講談社現代新書)。この事は、高句麗がワイを利用して辰韓の鉄を得ようとしていた可能性があります。このように、半島東側と南部地域の勢力が強かったという情勢では、大和の政治勢力のみならず、北部九州の政治勢力ですら遣使を送ったり鉄器資源を入手することさえできなかったと思います。
倭が、朝鮮半島に遣使を送ることができるようになるのは、公孫康が204年に帯方郡を設置してこれらの勢力を一掃したのち、韓、倭が帯方に属した以後だと思われます。この時倭が送った遣使は、北部九州の平原の王(女性神官王?)だったと思います。
平原出土の鏡は、漢鏡4期、即ち紀元後一世紀前半のき龍文鏡、長宜子孫銘の内行花文鏡を除いた、すべての方格規矩鏡と大宜子孫銘の内行花文鏡は漢鏡4期の鏡を模倣して楽浪で作られた復古鏡だと考えられます。
平原出土の方格規矩鏡は中国本土では出土しない陶氏作銘鏡や、銘文の乱れ、同型鏡が多いという三角縁神獣鏡が持つ属性を持っています。
大和の政治勢力が遣使を送ったのは、公孫淵が即位した228年だと思います。その時霊帝から節刀として得ていて、公孫氏に代々伝世していた中平年銘の太刀と平原遺跡出土の大宜子孫銘と同じ大きさの大型のホケノ山古墳出土の内行花文鏡を得たと思われます。
大和の政治勢力が再び遣使を送ったのは、公孫淵が237年に燕王を称した年で、この時ホケノ山古墳や萩原1号墳で出土した画文帯向式神獣鏡を手に入れたと考えられます。
大和の政治勢力が、2年後の239年に遣使を送れたのも当時の情勢を把握していたからだと思います。
秘湯&自然&遺跡
投稿者:
玉枕
投稿日:2009年12月 3日(木)09時24分38秒
サントさま、いつもお早い対応ありがとうございます。ネットで検索しましたらどちらも魅力的な秘湯です。楽しみです!
「山陰の旅」にご参加いただいた方から、「2月号には催行決定にしてくれ」とのお電話が入ったとか。そうですね2月から飛行機の早割りが始まります。出雲の時も早割りを利用しようとされた方が、すでに満席になってしまい購入できなかった。航空会社から反対に「出雲で何かあるんでしょうかね」と聞かれてしまったとおっしゃっていました。
そうです、我々で買い占めてしまったようです。
新年号にはアドバルーン記事ではなく、しっかり行程も記載した記事をお願いしてあります。ご検討いただきまして、是非、ご参加ください。人吉盆地では国道を外れた才園古墳を訪れる予定です。中型バスがぎりぎりのところのようです。
人数が把握できましたらバスの予約も早々にとれます。皆様!宜しく!
九州『火の国』遺跡巡り
投稿者:
サントバーバロ
投稿日:2009年12月 3日(木)08時40分44秒
来年の5月20日ー22日の九州の旅の宿の手配できました。20日の宿は阿蘇の垂玉温泉『山口旅館』21日の宿は天草の弓ヶ浜温泉『湯楽亭』ですべて源泉かけ流しの素晴らしい宿です。日本秘湯を守る会の会員旅館です。玉枕サンの遺跡巡りのコースの計画のみならず宿も魅力的です。定員26名で計画中です。お早目の申し込みを期待しています。
お世話になりました。
投稿者:
kurumiruku
投稿日:2009年11月30日(月)19時44分35秒
『東アジアの古代文化』研究発表会に参加させていただき、皆様の温かい心遣いに感激して、夕方、名古屋へ帰ってきました。意見の違いはあっても、真理を求める志は同じであることを実感できました。本当にありがとうございました。二次会ではそんべさんに過分なご紹介にあずかりありがとうございました。
若者に夢と希望がもてる手助けが少しでもできるようにお互いに頑張って行きましょう。皆様ありがとうございました。
http://www.joumon-uzumaki,com
人吉盆地と免田土器
投稿者:
玉枕
投稿日:2009年11月30日(月)10時03分6秒
「九州の旅」の下見がてら阿蘇の温泉を楽しんできたようなものです。
旅の企画も自分が行った事のないところを机上で組む度胸がないものですから自分の気持ちの負担を少なくするための下見です。お気遣いなく!
前回、「山陰の旅」でこんどは「中九州・南九州の旅」を実施したい旨、皆様には宣伝いたしましたが、実際、熊本を旅して鹿児島まで組むことの難しさを痛感いたしました。
今回は中九州のみの「火の国」の遺跡めぐりにしょうと思います。鹿児島の替わりに人吉盆地を訪ね、免田土器を排出した地域の文化に触れてみたく思います。
来年には宮崎方面から鹿児島志布志湾、鹿児島湾と隼人の世界の企画を考えます。
本日の幹事会にだいたいの行程を組みましたので皆様と検討したいと思います。
宜しくお願いいたします。
玉枕さんへ
投稿者:
当世奇妙
投稿日:2009年11月30日(月)09時08分48秒
九州遺跡下見ご苦労さまでした。
今日は幹事会出席可能です。
お話お聞かせください。
http://www.npo-rich.jp/modules/tinyd0/
“吉野ヶ里遺跡特別企画展・日本最古の髪の毛「みずら」”
投稿者:
玉枕
投稿日:2009年11月29日(日)20時57分3秒
今回は来年の九州への遺跡めぐりの下見方々、熊本の周辺を中心に巡ったが、たまたま新聞報道で、吉野ヶ里で20年前に甕棺から出土した最古の髪の毛(みずら)が特別展で公開されていると知り、吉野ヶ里遺跡まで足をのばした。
それと同時に改めて吉野ヶ里遺跡の復元建物をじっくり見てこようと思った。
熊本空港から九州自動車道を1時間半、東背振ICで下りる。吉野ヶ里遺跡はすぐだ。
「よみがえる邪馬台国・吉野ヶ里と倭人伝の世界」と題して特別企画展が開催中だった。
連休でもあり、期間が23日までだったので吉野ヶ里は賑わっていた。
まずは目的の“みずら”を拝見しようと特別展の会場に足をむけた。
「これが髪の毛?」「これだけ?」思わず口に出る。傍にいた解説の方の話によると、20年前に甕棺から二体の頭蓋骨に張り付くように“みずら”が検出されたが、放置されたりして1体分は消失してしまったそうだ。
現在ならば慎重な処置がされていたであろうに残念なことである。
現存している髪の毛も年々小さくなり1年前と現在では乾燥して目に見えて変化しているようだ。
これがAD1世紀頃の倭人の髪の毛。古墳時代のものではないことに驚きがあった。
倭人の男性はずっとみずらの姿だったことも意外だった。
吉野ヶ里遺跡に関してはあまりに有名で皆様、何回も足をはこばれていると思いますのであえて報告する必要はないと思いますが、前回の「北部九州の遺跡めぐり」で訪れた時には整備されていなかった北の墳丘墓の内部が公開されていました。
14基の甕館が埋まっている姿は壮観でした。
討論室に写真投稿してみますのでご覧いただければと思います。
以上今回の旅の報告を終了いたします。
以上は、新着順1番目から10番目までの記事です。
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