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翌檜さん、情報有難う御座いました。狗奴国を東海地方に推定されている方が多いようですが、私は以下のように考えています。纏向遺跡のある地域からみて西南、南、東南方向にかけては、葛城山系や吉野、宇陀山系の山並みが連なっています。この山岳に住んでいた人たちのことを「くず」と呼ばれていた人たちが住んでいたと思われます。何故、くずと呼ばれていたかと云えば、この地域の人たちは、葛を食料として食していたり、また、葛の蔓の繊維で葛布を作って利用していたからだと思われます。狗奴国とは、このような不特定な地域を指して呼ばれていたと考えています。
この人達は、かって、河内と東海地方との間にあって交易上、重要な役割を果たしていたと考えられます。たとえば、河内の人たちが四国阿波で調達した銅資源を、葛の人達は、東海地方の人たちが銅鐸を造るために必要としていた銅を届けていたのではないでしょうか?
しかし、纏向に新しい勢力が誕生してからは、纏向と東海地方の間で直接交易を決めために、葛の人たちは生業を失うことになり、纏向の勢力との間に問題を抱えることになったと思われます。
ただ、その後、葛城山系の葛の部族長が勢力を伸ばして大豪族の葛城氏へと発展していったと考えています。秋津遺跡もこのような歴史過程のなかで考えるべきではないでしょうか?
南葛城地方に、古墳時代前期の大型の古墳が存在しないのも、以上のようなことが原因だと考えています。
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