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狗奴国について

 投稿者:プレアデス  投稿日:2010年 2月10日(水)11時51分58秒
  翌檜さん、情報有難う御座いました。狗奴国を東海地方に推定されている方が多いようですが、私は以下のように考えています。纏向遺跡のある地域からみて西南、南、東南方向にかけては、葛城山系や吉野、宇陀山系の山並みが連なっています。この山岳に住んでいた人たちのことを「くず」と呼ばれていた人たちが住んでいたと思われます。何故、くずと呼ばれていたかと云えば、この地域の人たちは、葛を食料として食していたり、また、葛の蔓の繊維で葛布を作って利用していたからだと思われます。狗奴国とは、このような不特定な地域を指して呼ばれていたと考えています。
この人達は、かって、河内と東海地方との間にあって交易上、重要な役割を果たしていたと考えられます。たとえば、河内の人たちが四国阿波で調達した銅資源を、葛の人達は、東海地方の人たちが銅鐸を造るために必要としていた銅を届けていたのではないでしょうか?
しかし、纏向に新しい勢力が誕生してからは、纏向と東海地方の間で直接交易を決めために、葛の人たちは生業を失うことになり、纏向の勢力との間に問題を抱えることになったと思われます。
ただ、その後、葛城山系の葛の部族長が勢力を伸ばして大豪族の葛城氏へと発展していったと考えています。秋津遺跡もこのような歴史過程のなかで考えるべきではないでしょうか?
南葛城地方に、古墳時代前期の大型の古墳が存在しないのも、以上のようなことが原因だと考えています。
 

定説を乗り越えよう!

 投稿者:玉枕  投稿日:2010年 2月10日(水)09時24分41秒
編集済
  >隼人は南九州、出口、菱刈、小林、都城を貫くベルト地帯(当然人吉も入っております)を闊歩した地下式墓を有する人たち。後に体制に取り込まれヒナモリとなった人たち

やはり、人吉盆地も隼人の領域と考えられるのですね。
この地からの蛇行剣の出土探してみます。蛇行剣は蛇のように曲がった剣、戦いには不向きで呪術的な剣とされていますが・・・隼人の地とされるところから多く出土がみられるようです。

私たち素人は学者、専門家の書籍や考古学者の検証、考察文を読んで、自分の感性にふれる論に同調し、それをもとに古代を描いてきましたが、今、それら過去の論評が必ずしも正しい評価であったのかが問われてきています。

はたして蛇行剣が隼人と結びつくのかも、熊本や宮崎、鹿児島を訪ねることで考え直してみようと思っています。

学問の世界は非常に保守的で専攻した先生の論を否定しようものなら、出て行け!の世界
真の師匠は自分を否定して超えていく若者を期待しているはず。

現在の大学はどこまで改革が進んでいるかは疑問ですが、私たちは自由の身、私はこの立場で自分が見た感じられた歴史の芽を自分の中に収めていくだけでなく、HPに発表し、皆様からの知識を享受できたらと思っています。

文章の語尾をどのような言葉をもってくるかで、その人の姿勢が見えてくるので私も非常に気を使います。
「素人のくせにそこまで言うか!」のフレーズがいつも頭の中にあります。
自然と「そういわれています」「・・・のようです」「・・・と思われます」などの責任転嫁できる言葉を選んでしまいます。・・・素人ですので許してください。
 

おもしろい本

 投稿者:そんべ  投稿日:2010年 2月10日(水)02時18分4秒
編集済
   やることがあるのに読み出したら止められない本がある。渡部正路『語源でとく古代大和』(叢文社、2009)もそうで、仕方なく最後まで読んでファミレスから戻りました。
 邪馬台国に至る陳寿の筆法、奴国のナ、筑紫のヒムカ、磯城、磐余、箸墓のハシ、間人、布留、和邇氏のワニ、竹内スクネのタマキハル、倭の五王のワク・ワケ、雄略朝鉄剣銘の先祖名、天のウズメのウズ、サルタヒコのサル、葦原のシコヲのシコ、三島のミゾクヒのクヒ、賀茂のカ・モ、出雲のイヅ・モ etc etc
  森博達『日本書紀の謎をとく』批判もある。著者の経歴紹介が全くない。匿名の国語学者か?
 

白石太一郎先生

 投稿者:翌檜  投稿日:2010年 2月10日(水)01時33分24秒
  >オウトバでなくてカモね。
ありがとう!。隼人は南九州、出口、菱刈、小林、都城を貫くベルト地帯(当然人吉も入っております)を闊歩した地下式墓を有する人たち。後に体制に取り込まれヒナモリとなった人たちではないかと考えたりもしております。

>蛇行剣振りかざす王が狗奴国王か!!
この蛇行剣は隼人族が所持する剣なのですか?以前にも草薙剣関連で取り上げられていたように記憶するのですが。関東長野方面で出土があるようですが同じようなものですか?

>倭の五王の時代でさえ列島で戦わなければならなかった
継体期に於ける磐井の乱を想定いたしましたが、「かっては同じ釜の飯を食った仲間」云々と書紀の磐井国造の記述。誰に向かってかはよくは存じないですが、記述からもともとは九州と近畿との協力関係が認められ、5世紀以前における西日本の統合の可能性も認められるのではないでしょうか。

>大和側流域と淀川流域では異なっていたと思われます
先日の茶臼山の正始元年鏡と安満宮山の青龍3年鏡、ともに魏代の紀年鏡を共有する状況下ができました。また、最近になって知りえたことですが茶臼山の朱がイオウの同位体分析から吉備・楯築墳丘墓の朱に近い値を持ち、茶臼山周辺の朱とは明らかに異なるとの報告(ホケノ山古墳10冊/大和水銀鉱山の朱ではないらしい、がっかり)。記紀にも神武天皇と茨木・溝咋の娘との聖婚で大和川流域と淀川流域の一体化が為されており、神話の世界にて時代設定が難しい中でありますが、ヤマト王権の畿内の版図が徐序に明らかになりつつあるのではないかと感じております。

>何時・何故・どのような形で奈良盆地東南部に西日本の勢力が結集したかが重要な課題と思います

やはり、島礁上に隔絶、点在、隣接する在地勢力を結果的に一点に結集さすには“あるなにかの求心力”が働かないと大変難しいと思います。その何か!!を思いつくまま書き出しましたが、求心力はこれらの単独若しくは複合作用の結果と理解いたしております。

・「内圧・外圧による種の生存の危機」。何らかの外的要因が博多湾岸から内陸行への圧力を強めた。例えば人的増大とか。

・「安定的な食糧の生産と保障」。まあ、これは縄文から弥生の転換期として確立した稲作論の延長上にある、もっと濃密な農耕拡大論。

・「人格の変更を伴うような狂信的祭祀の勃興」。従来の先祖崇拝、農耕崇拝からカリスマ的個人崇拝の出現。

・「抗らいようのない強大な力、絶対神の出現」。列島人が一様に畏怖、平伏するモンスターの出現。

等々を想定するものです。私は絶対権力を有するモンスターの出現をもって西日本の統一が図られた、と考えておりますがまだまだ論証を重ねないといけないようです。

><思われる>、<考えられる>
私は「古墳とその時代」しか読んだことはございませんが、サントバーバロさんご指摘のほとんどの考古学者の論調はこのようなものではないでしょうか、特に研究論文などはオンパレードです。研究対象の性質上、断定的にいえるのはごく僅かなものになると心得ます。必然的にその他多くは推理推論で構成することになります。ある書に「私は小説家であり、歴史家ではございません。しかし『蔑視』観念を持ってお聞きにならないようお願い申し上げます」と、清張氏邪馬台国論の語りだしの枕詞を載せておられます。小説家としての断定であり、責任の伴わない論旨のように思うのですが。
 

耳飾りの空白時代

 投稿者:玉枕  投稿日:2010年 2月 9日(火)23時10分27秒
  「榛東村耳飾り館」、以前に訪れた時、いくつか気になることがあった。
この館内説明に「弥生時代の遺跡からは耳飾りが出土していない。弥生時代は耳飾りの空白時代である」と。耳飾りの習俗だけは弥生時代に引き継がれなかったようだ。

弥生土器に描かれた人面や顔面付きつぼなどに耳飾りを付けた様子を表したものがみられるが遺跡からの発掘例はほとんどないとのことだった。

古墳時代になると大陸から貴金属製の耳飾りが伝わり、古墳時代は耳飾りの習慣が身分や階層、男女を問わず一般的であったことが説明されています。
金環は古墳時代を代表する耳飾りで金属の棒を曲げ、金メッキしたものを農夫でさえも付けていて日本の歴史上最も耳飾りが普及した時代であったことが説明されていました。
農夫も金環していたなんて、現代よりおしゃれですね。

問題は縄文時代の土製耳飾りの習俗が弥生時代に引き継がれなかったことです。
館内の学芸員さんに質問したところ、縄文時代の耳飾りを付ける習俗が自然に対する呪術的なものであったとすると弥生時代は耕地を開拓し自然に手を加える行為に対して耳飾りは装着できなくなったのではと話された。 皆様はどのように思いますか?
 

思われる、考えられると言う記述の多い白石先生の本

 投稿者:サントバーバロ  投稿日:2010年 2月 9日(火)21時29分19秒
  白石先生の本を読んで驚いたのは、そのページに<思われる>、<考えられる>と文章の締めが余りにも多いのが印象的です。考古学のは本は推理小説なんでしょうか。。。やはりデータをきちんと提示して自説を展開すべきでしょう。推理小説の松本清張さんはもっときちんと推理されています。主観的な記述は科学者のとる態度ではないと思います。学者としての姿勢に疑問を感じます。  

一つの耳飾を追って

 投稿者:玉枕  投稿日:2010年 2月 9日(火)21時21分45秒
  週末に越後の国を訪れた。関越トンネルを越えると雪国になる。
トンネルを越える手前の渋川あたりから雪が舞い始めた。今回は北群馬郡榛東村に立ち寄りことが目的だった。渋川伊香保インターで下りた。

数年前に東京調布市の下布田遺跡で、縄文時代後期・晩期の遺構から一つの大きな土製耳飾りが出土した。この耳飾りを見て、これと同じ耳飾りを見たことを思い出した。

群馬県榛東村、国指定「茅野遺跡」。577個の大量の耳飾りが出土して国の重要文化財に指定されている。これを記念して同地に「榛東村耳飾り館」がオープンしている。
入り口には、あの下布田遺跡で見た耳飾りと同じ物がモニュメントになって飾られている。

やっぱり、同じだ!花びらのかたちの耳飾り!
土製耳飾りの中で最も薄く精巧に作られていてきめの細かい粘土を使用して彫刻のように削り込んでいる。

館内には学芸員さんが常時おり丁寧に説明してくださる。東京、埼玉、長野などから同様の形を模倣した例が数十個発見されているとのことだった。

又、下布田遺跡の耳飾りも赤色顔料が塗られていて赤かったが、茅野遺跡から出土した577点の内、3〜4割にベンガラ(酸化第二鉄)が塗られていたことが確認されている。
水銀朱よりもより明るい赤が好まれたようだという。

高度な技術を必要とした花びら形の耳飾りの出土は縄文晩期の集団の長の交流を窺える事例になるだろうか!? 縄文時代の耳飾りは単なるおしゃれなのだろうか?
 

アメリカの人

 投稿者:サントバーバロ  投稿日:2010年 2月 9日(火)21時18分10秒
  当世奇妙さん
 となりのアメリカ人はどこの出身か知りませんが、かなり勝手な人でした。我が家の冷蔵庫の食べ物を子供が食い漁り、休暇の時には動物のえさの面倒を見させて当たり前。いとども食事には招待されませんでした。勿論こちらもしていませんが、何か秘密の外交官だったかもしれません。それに比べてイギリスの隣人は親切でした。
 一人一人のアメリカ人はその出自によって違いますが、表面的には愛想がいいが何を考えているかは分からないという感じでした。常に警戒心を怠らないし身構えていなければ収まらないという感じです。まさに西部劇の世界ですね。 これは考古学の世界と余り関係ない話ですね。談話室だから許されますね、、、、ごめんなさい。
 

「突っ込み不可」

 投稿者:玉枕  投稿日:2010年 2月 9日(火)19時54分15秒
  翌檜さま!「突っ込み不可」、これ私に下さい! これを書けば突っ込み受け付けなくてもOK!・・・とは言うものの・・・論客には物足りなく思われるかもね・・・仲良しクラブになってしまうし・・・やはり勉強してがんばらなければ! オウトバでなくてカモね。

狗奴国は半地下式墓を採用している隼人の地! 何処かな?何処かな? 今度の熊本の遺跡めぐりで球磨川流域の人吉盆地を訪ねますが、ここにも半地下式墓が見られます。
たしか、宮崎にもありますね。宮崎は翌檜さまのフィールドワークの地でしたね。
南九州は隼人の地。蛇行剣振りかざす王が狗奴国王か!!

私は熊本の旅の下準備で人吉市に昼食やら学芸員の紹介などを依頼するため電話などで、お話するのですが、今までの他の地域の方と何か違うのです。
その違いを現地に行って感じてこようと思いますが、私の勘違いかもしれませんが。
私には、もしかしてここが狗奴国かも、何って考えてみたりしている今日この頃です。

携帯からでも意は十分伝わりましたが、とり急ぎということでしょうね。
再チャレンジ楽しみだ!!!
 

白石太一郎先生

 投稿者:翌檜  投稿日:2010年 2月 9日(火)14時09分41秒
  当世さん、玉枕さん、お久しぶりです。

投稿に「突っ込み不可」を書き忘れてしまったトホホ・・・。

ところで私は、奥野会長説かれる壹興東遷説(都するところの場所が違いますが)に従うもので、狗奴国は半地下式墓構を祭祀したであろう隼人族と、捉えております。

したがいまして「東海千里又倭種」の地を狗奴国にするには当方考えのなかでは無理がございます。また、この地を狗奴国にするには狗奴国の国名、男王を記した前段、国邑記事との整合がとれないのではないか、と考えております。

また、纏向の地と葛城の地は多少の時期差があるにせよ前期古墳の範疇、オウトバ?一号墳墓の三角神獣鏡がヤマト王権との繋がりを暗示しているように思います。(携帯からです、意のつくせない分お詫び申し上げます))
 

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