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RE北方の守護神・毘沙門天  投稿者:そんべ  投稿日:2008年 8月 9日(土)01時11分46秒
  >その古四王神社の立地ですが当時は湊であったところではないかと思われますがどうでしょう?
→古いものほどそうだと思います。

>環日本海文化の路筋、慎粛・靺鞨などと表記された北海道北部・樺太・沿海州の人々との交易や越・佐渡・若狭・丹後から船出する近畿地域との中継地として重要な地点だったのかもしれませんね。社殿が北面と西面していることも関係してくるのかもしれません。
→ごもっともです。

>古四王神社の多くが四天王を祀る寺院や堂社であり、寺内の古四王神社も神体は毘沙門天(多聞天・・北方)であったと伝えられているようです。
→中世はそうだったかもしれません。近世になるとかなり変わっているのではないでしょうか。今たまたま南部藩領三戸郡の修験道(山伏)の資料を読んでいるところですが、天台宗三井寺から許可状を受けている戸来村(キリストの墓のあるところ)の多門院というのがこのあたりの山伏のボスでした。税を納める山伏たちは神社の別当を兼ねています。その名称をみると(寛政元年で)、御三岳別当1名、八幡別当10名、観音別当8名、神明別当5名、毘沙門別当1名、稲荷別当3名、新山別当3名、今熊野別当1名、熊野別当1名、不動別当1名、明神別当3名、保呂別当1名、白山別当1名、若宮八幡別当1名、千曳別当1名、稲荷別当2名、不明5名、となっています(名称のみから数えましたが、たとえば、新山は新山明神のことで明神社と同じになる)。中道 等『十和田村史』(昭和30年)参照。
 

“東漢氏”  投稿者:玉枕  投稿日:2008年 8月 7日(木)08時50分55秒
  ツチノコさま、ありがとう!結極、朝刊が見つからず、確認できないでいました。

携帯から電話!「もう現地に行った?」「えっ、何のこと?」「何だ、跳んで行っているかと思った!」「今日の朝刊にも出ていたし、今、テレビでもやっていたわよ」
「えっ!知らない!」「フムフム・・・なるほど・・・さすが早いね。ニュースソースの仕入れ!」

6世紀末から7世紀の方墳。現地説明会なし?(だから水曜日発表か!)
天井が高い!! ミュニチュア炊飯具ね。
注目は棺台(ベッド)!これ出土例わずか。皇子クラスにしかない?
“東漢氏の首長墓”か!!

この間の真弓カンス塚古墳といい、俄然、東漢氏の存在がこのところクローズアップされていますね。
 

与楽カンジョ古墳  投稿者:ツチノコ  投稿日:2008年 8月 7日(木)00時10分20秒    編集済
   与楽カンジョ古墳の調査結果が出たようです。下記のURLをご覧下さい。

http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000000808060001

 

北方の守護神・毘沙門天  投稿者:玉枕  投稿日:2008年 8月 6日(水)23時20分10秒
  そんべさま、
秋田には由利郡象潟町に古四王神社があるようですね。子吉川の中流域、本庄平野。
上流域に西馬音内、山間の山村に伝えられた盆踊りは現在もなお無形文化財として人々に伝承されているようです。
その古四王神社の立地ですが当時は湊であったところではないかと思われますがどうでしょう?
環日本海文化の路筋、慎粛・靺鞨などと表記された北海道北部・樺太・沿海州の人々との交易や越・佐渡・若狭・丹後から船出する近畿地域との中継地として重要な地点だったのかもしれませんね。
社殿が北面と西面していることも関係してくるのかもしれません。
古四王神社の多くが四天王を祀る寺院や堂社であり、寺内の古四王神社も神体は毘沙門天(多聞天・・北方)であったと伝えられているようです。

現在、「北東北の史跡めぐり」も北東北歴史懇話会の皆様の協力を得て、各訪問先における専門家の方の説明をうけることができます。現地の学芸員の方に皆さん質問できますよ!

先日の熊田先生の講演会のオフで先生から現在、秋田城跡の西門が発掘されたとお話いただきました。我々が行く時は埋め戻されているようですが、現場に行けるようお願いしてあります。熊田先生が興奮気味に西門の近くは崖縁だった、切り立った崖とおっしゃっていた。良港ですね。ここから荷揚げされ東門に向かう政庁(倉庫)へ・・・?
色々、皆様からのご享受があり現地への訪問が楽しみです。
 

古四王神社  投稿者:そんべ  投稿日:2008年 8月 6日(水)02時52分0秒
  谷川健一編『日本の神々』(第12巻)の羽前、羽後の部は新野直吉先生が担当でした。有名な古四王は秋田市、由利郡象潟町、大曲の3社とされています。また、社殿が北面あるいは西面していることについていろいろと考察されています。すっきりとした答えがあるということではありませんが。  

秋田の遺跡巡り  投稿者:当世奇妙  投稿日:2008年 8月 5日(火)22時54分54秒
  明日から胡桃舘、大湯環状列石、伊勢堂岱、尾去沢鉱山遺跡など見てきます。

http://www.npo-rich.jp/modules/tinyd0/

 

胡四王神社  投稿者:しゃくやく  投稿日:2008年 8月 5日(火)12時07分30秒
  玉枕さま お調べいただきありがとうございます。
岩手では胡四王神社で蘇民祭が行われていることから
胡四王神社=スサノヲ・牛頭天王の連想がされたように思います
秋田の胡四王神社は日本海ルートとの関連があるかも知れませんね。
そんべ様のおっしゃるように牛頭天王社は阿賀野川の南くらいまで
ということなのでしょう。
 

“あぎたの浦の神”  投稿者:玉枕  投稿日:2008年 8月 5日(火)10時20分23秒
  北東北の史跡めぐりの行程を練っている時、秋田城跡の近くに“古四王神社”という聞きなれない神社の存在を知った。調べて見ると境内に阪上田村麻呂を祀る田村神社があるというのでコースに入れた。
バス会社に行程表を見ていただいたら、「秋田湊の古四王神社ですか?大曲の古四王神社ですか?」の問い合わせ、「えっ?ほかにもあるの?」

偶然見つけた神社、いらっしゃい!いらっしゃい!と言われているように反響があった。
東アジアのニュースを見て、「旅行に参加はできないが、以前に新潟の古四王神社に行ったことがある。注連縄の結び方がかわっていたので写真に撮ってきた。調べたが良くわからない。
写真を撮ってきてほしい」などの問い合わせがあった。その方も日本海側に多いとおっしゃっていたが、そんべさんが岩手県にもあるとおっしゃっている。

調べてみると、その多くが阿賀野川流域以北、とくに東北の日本海側に集中的に分布しており、大彦命を祭神とする例が多い。
大彦命は7世紀中葉にかけて日本海沿岸を北上した安倍氏の祖先神。
大彦命を祭神とする伝承の成立期と普及には現段階では江戸時代後期を遡り得ないとされている。となると古四王神社はもともと誰を祀っていたのか?

秋田湊の古四王神社の地主神は“あぎたうらのかみ”秋田浦の海浜の神で鰊やハタハタなど沖から浜に寄ってくる海の幸を司る神でもあっただろうとされている。

秋田城跡の発掘調査報告をみると、秋田城には出羽国府があった時代にも国分寺があったようには見えないが、それに代わるべき四天王寺があった。四天堂と言われる殿社があり、ここに神仏習合の姿がある。明治維新の神仏分離後、四天王寺の姿は消えて神社の姿に帰ったようだ。
やはり、ここには牛頭天王の気配は見られないかも!ここでは“大彦命”にしていますから・・
 

牛頭天王とスサノヲ  投稿者:そんべ  投稿日:2008年 8月 5日(火)01時46分53秒
  しゃくやくさん、玉枕さん、
 胡四王神社のこと、スサノヲ神社のこと、ありがとうございます。
 牛頭天王社は日本海では新潟あたりまではあるようですが、それより北ではどうなのか、気になるというべきか興味があるというべきか・・です。しらべてみたいと思いつきました。
 スサノヲをふるくから祀ってあった神社は全国でみても少なく、近代になって牛頭天王社からの看板の掛け替えが多いのでしょうね。
 夏期の流行病への恐れが生み出した信仰現象とみると、半島から渡ってきた当初は行疫神は武塔(むたふ)でした。備後の国の風土記の記述(として釈日本紀に紹介された)ですが、一夜の宿を貸した蘇民の一家を助け、宿を貸さなかった将来の一家を殺します。武塔は無差別に人を殺す神のはずが、武塔の後身の牛頭は蘇民将来と組んでコタン(古丹、巨旦)将来と大戦争を戦う話に変わっていきます。武塔の位置に菅原道真が入ることもありました。
 一番なやましいのは、釈日本紀の文中に武塔の神が「吾は速須佐の雄の神なり」と言っていることです。何故、あるいは、いつから、武塔とスサノヲが同一人物(神)視されるようになったかです。武塔の名は記紀にはでてきません。記紀のスサノヲに疫病神の姿がみえるわけでもないと思いますし・・。
 スサノヲの系譜、オリジンを考えるとき、簡単にスサノヲを半島からきた神とはいえないと考えております。蘇民将来の物語からスサノヲを半島からの渡来神ときめてしまうと、ナキイサチル小童から地下世界の主となるまでの長い長い物語が説明されずに残ってしまうでしょう。
 

スサノオ神社  投稿者:玉枕  投稿日:2008年 8月 4日(月)22時25分23秒
  荒川区千住大橋の近くにあるスサノオ神社には4月の都内遺跡めぐりでも立ち寄りましたが、昨年の宵宮祭斎行の時に夕刻から見学にいき、かがり火の中の太鼓奉納に魅せられたひと時を思い出します。
“スサノオ命”は祭神としては有名ですがそのまま神社名となっているので、つい、好奇心で誘われるままの神社訪問。詳しいことは存じませんが、スサノ大神と飛鳥大神を祭神としていることから、渡来系の神社なのでしょうね。
延暦14年(795)の創建と伝える古社で、古くは飛鳥明神社とも千住天王社ともいわれていたようで、明治以後に“スサノオ神社”と社名変更になったようです。
もとは天王社であったようですから牛頭天王が祀られていたのでしょうか?スサノオより前に?
 

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