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479年、加羅国は国王荷知が南朝、斉に使いを送り官職を授かっている(南斉書 東南夷列伝 加羅国條)
高句麗や百済とともに当時、南朝に対して除正していた加羅地域のことは、最後まで一つに纏まる事はなく、割譲され消滅していったと思っていた。
その地域に倭が何らかの係わり合いがあったことは周知のことである。
今回の「アジア史学会」では、大邱韓医大学教授の金世基氏から高霊池山洞古墳群から大伽耶の位相を紹介いただいた。
慶尚北道高霊郡高霊邑池山里郷。私は訪れたことがないので、映像紹介は大変参考になった。
伽耶山とその源流である河川が高霊平野を形成している。この平野を見下ろすように高霊の鎮山から延びる稜線上に古墳が点在している。
池山洞古墳群は伽耶最大の古墳群で大伽耶の王陵と王族の古墳と位置づけられている。
注目されるは、ここから『三国史記』に記録がある“殉葬”の事実が確認されたことだ。
44号墳では中央の3基の石室を取り囲むように32基の殉葬槨が、45号墳からは2基の石室と11基の殉葬槨が検出されている。
映像でみる発掘された当時の遺構は衝撃的だった。中央を取り巻く石槨に目が釘付けになった。これが殉葬墓!!
殉葬者はこれだけではなく、主石室の主人公の頭部と足部分に一人ずつ、副室の南石室、西石室にも一人以上埋められていて総計36人以上。
出土遺物は盗掘され限られているが、伽耶の冠帽は現在、高霊を中心に大伽耶地域に限って出土していて、そっくりさんが日本の福井県二本松古墳出土の金銅冠であることはよく知られている。
大伽耶の国邑だった高霊池山洞古墳群の規模と出土物は大伽耶が国家の位相をなしていたことを裏づけるに十分な遺構。
大伽耶は国際舞台に進出してから古代国家として成長し、530年代の新羅の膨張政策で再び分裂するまで50年間、古代国家として存在した。
531年、日本では欽明が即位してますね。リンクしているでしょうか!
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