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玉枕さんへ

 投稿者:いとな  投稿日:2017年 8月22日(火)13時37分53秒
  楯築墳墓の歯について、さっそくのご回報、有難うございました。
しかし、肝心の歯片が消えてしまったことは大変残念ですね。
現在の技術レベルでは分からないことも、将来の技術で判明する期待もあったはずですが。
?
 
 

備後国府跡

 投稿者:玉枕  投稿日:2017年 8月22日(火)11時43分32秒
  午後1時に集合した1日目の旅の行程の最後に備後国府跡の関連遺構をご案内いただいた。明日は三次盆地なので福山市の最後の訪問先となった。西日の日差しが強い中、日蔭をさがしながら歩いた。どこの地域でも国分寺跡が分かっていても国府跡が判明していないことは多い。平安時代初期以降の備後国府が現在の府中市の市街地北半一帯に存在していたことが明らかになっているが、当初の備後国府については、はっきりしていない。私はこの時代の頃に対する関心が薄く、暑いし歩き回るのもしんどくなっていたが、皆さんは非常に関心をもって説明を聞いている。

当初の国府の位置を知る手がかりが終末期段階における古墳の動向に関連することを知らされる。先ほどの二子塚古墳の出現をもって備後の南北を統括する首長の登場と評価する考えと、古墳のありかたから、当時の備後は南北に分かれていたとみる見方があり、終末期の古墳のありかたをどうみるかが重要であるようだ。

ご案内いただいた土井氏は、その辺のことを「考古論集」2004年に書かれており、そこから抜粋して論考を下さった。

「備後国成立については、従来“吉備分断政策”として論じられることが多かった。すでに古墳時代において吉備の分断は終了しているのであって、7世紀代の分断すべき「吉備」と言う纏まりは存在していない。備前、備中、備後に分割されるのは、適当な規模に行政区域を変更したに過ぎないと考えられる。備後地方が実態として吉備と言う纏まりの一部だったかどうかについても疑問であろう。そう考えると分断される必然性がないことになる。」

そう言いきれる根拠に後期古墳から終末期古墳の詳細な検討にあることを知らされる。
備後地方の終末期古墳は墳丘の形態や立地から考えても畿内地方とは必ずしも共通する部分が多いとは言えず、結論的には、広範囲を統括するような首長墳は認められない。7世紀後半に入ると急激に藤原宮式の瓦などが出土を見、畿内地方との関わりで捉えることができる事例が増えるという。備後国府の成立は7世紀後半に見られる急激な変化として把握できるようだ。
 

楯築墳丘墓の歯

 投稿者:玉枕  投稿日:2017年 8月22日(火)11時26分5秒
  楯築墳丘墓から検出された歯については、いとなさんが以前に「歯の行方が分かっていない」とおっしゃっていたのを思いだし、その歯の鑑定をされた宮川先生が参加されていたのでお聞きしました。これもお土産にしようかと思っていましたが、すでに開封!

宮川渉先生は元歯科医でいらし、橿原考古学研究所の研究員として楯築墳丘墓から検出された歯の鑑定をされたようです。歯は残欠で、そこからは何も情報は得られなかったと言うことでした。犬歯であれば、男女の違いなど分かったそうです。楯築墳丘墓の被葬者が「女性では?」は、歯からではなく、他の様相からでた見解ではないかということでした。宮川先生はご高齢で、当時は橿原考古学研究所にあったが、現在はどこにあるのか分からないということでした。

小笠原好彦先生へは、「歯」の質問ではなく、日本における「施朱の風習」について、「朝鮮半島を経由しない文化の伝播」をどう考えたらよいかを質問しました。一瞬、困った顔をされ、誰も答えることはできないのではないかとおっしゃっていました。自分としては朝鮮半島西岸を海路で伝わった文化と考えているということでした。根拠があるわけではなく、ぼくはこう考えるというアンサーでした。この件については数名の地元の学芸員の方にも質問しましたが、明確な納得のいく答えはなかったです。
 

楯築の歯?

 投稿者:いとな  投稿日:2017年 8月22日(火)10時36分7秒
  玉枕さん、備後の遺跡は、私にとっては白紙の地域ですが、けっこう珍しいものが出ているようですね。

ところで、楯築の埋葬部から小さな歯片が1~2個出ており、女性の歯ではないか、とされていたが、その後行方不明になっていました。
あの楯築墳丘墓の主が女性だったら、卑弥呼も絡んで結構面白い展開が考えられるので、その後も気になっていました。
数年前、岡山大の新納先生が当会の講演で上京された折に、そのことを伺いましたが、ご存じないということでした。
保管先の最有力候補である岡山大学で分からなければ、もう無理かも、と思っていましたが。

今回の旅行で、なんと
>小笠原先生や楯築墳丘墓の歯の鑑定をされた橿原考古学研究所の研究員でいらした宮川渉先生なども参加されていて、歯の行方など伺ってみました。ーーー とのこと。
小笠原先生や宮川先生から、どのようなご回答がありましたでしょうか? ご教示頂けませんでしょうか?
 

Re:うなぎの話 その2

 投稿者:万事一滴  投稿日:2017年 8月22日(火)09時37分9秒
編集済
   K.A.さま

〔「雲南神」という東北独自の神格として、柳田国男氏はじめ民俗学者が注目してきました。
ただ最近はこの「ウンナン神」は忘れ去られてしまいました。
 この雲南神は佐野賢治氏によると「雲南神の由緒、沿革はその多くが全く不明であり、祭神や本地仏をあげると、春日明神、宇賀明神、十一面観音、牛頭天王などであるが、虚空蔵菩薩を本地とする伝承が圧倒的である。また必ずと言える程、鰻の伝説や食物禁忌を伴っている〕

 とのことですが、トミー兄のご指摘、ご教示で教えられました匈奴に接する北魏、雲岡のある雲州は、明治以前は杵築大社だった出雲大社のある出雲にもあり、その雲州の南部三郡は雲南三郡とされ、戦後になっても、町村合併前は、郡の単位として行政上の区分にもなっていました。

 雲南神は雲南の氏神であれば、出雲の雲州、雲南からは、中原北東の中に仕える雲の拡散とも、連想され、あながち夢想でもないかもと・・・・。

 南部とは、中に淵源する雲の南かもと、・・・。
 中南海とは、中本体の南海部、南海の海は何でしょうか。蝦夷も同系音・・・・・。
 府中も中の府、列島中にある府中も中の出先に淵源するかもと、・・・。

 
 

うなぎの話 その2

 投稿者:K.A  投稿日:2017年 8月21日(月)22時08分25秒
  うなぎと虚空蔵の話は既にしましたが、東北、特に宮城、岩手の方はよくご存知と思いますが、「雲南神」という東北独自の神格として、柳田国男氏はじめ民俗学者が注目してきました。
ただ最近はこの「ウンナン神」は忘れ去られてしまいました。
この雲南神は佐野賢治氏によると「雲南神の由緒、沿革はその多くが全く不明であり、祭神や本地仏をあげると、春日明神、宇賀明神、十一面観音、牛頭天王などであるが、虚空蔵菩薩を本地とする伝承が圧倒的である。また必ずと言える程、鰻の伝説や食物禁忌を伴っている」
とのこと。宮城県柳津虚空蔵尊では本地垂迹説によれば虚空蔵菩薩は雲南神だということで、そこのご住職はやはりうなぎは食べないそうです。
ウナン、ウンナン、ウナなどの語から「うなぎ」という言葉に導かれているということですが、
水生神性動物そのものが神として祀られる例は少ないとのこと、又、アイヌ語の「母神」を意味するUnu-Kamuiと解する説もあるとのこと、その辺はご専門の方々にお任せしたいと思います。
いずれにしろ本来、真言の神々のうちの重要な位置にある「虚空蔵菩薩」がいろいろな所で、地元神と思われる鰻神と習合していることに興味をひかれます。
 

備後絣と鋳物工場

 投稿者:玉枕  投稿日:2017年 8月21日(月)21時18分22秒
  二子塚古墳の出土物が展示されている「しんいち歴史民俗資料館」を訪問した。旧山陽道の道が見え隠れしながら国道486号線を行く。この辺りは駅家があったと想像され、瓦などが出土した西条寺遺跡などもある。町名は駅家町、午前中は北朝鮮のミサイルの飛行ルートであるため、サイレンが鳴り、避難訓練が行われたそうだ。

福山市新市町、ここは備後絣で有名な所だそうで、木綿と藍の織りなす素朴なぬくもりに、お土産に小物製品を幾つか購入した。

新市=しんいち市は文全協の顧問をされ、長きにわたって活躍された亡甘粕先生のご実家があるところで、戦時中は先生もここに疎開されたという。甘粕家は鋳物師の末裔と言われ、現在の神谷川橋の交差点の処が古代山陽道で、ここに高田鋳造所があったそうだ。三代目、高田嘉助は井伏鱒二と交友が深く、その小説にしばしば登場してくるという。新市は井伏文学の原郷でもある。

しんいち歴史民俗資料館では興味深い古墳の模型が展示されていた。尾市1号墳古墳と言い、八角墳とされている。それ以上に興味深いのは埋葬施設がT字型石槨をしている。これは日本国内には現在のところ類例がないそうだ。そばにいた男性が中国でみたことがあるとつぶやいていた。
 

二子塚古墳

 投稿者:玉枕  投稿日:2017年 8月21日(月)21時11分24秒
  福山市街から北西にバスで1時間ほど、芦田川流域の標高500mの内陸部。二子塚古墳は福山市駅家町、旧山陽道に近く、7世紀にかけて築造された全長68mの前方後円墳である。後円部と前方部にそれぞれ横穴式石室がある。この周辺は後期古墳や終末期古墳が多く見られる場所である。ご案内下さったのは土井基司氏で、元福山市教育委員会で遺跡の調査に携わってこられた方であった。

事前の資料ではこの古墳は、“吉備の分割のカギを握る”と紹介されていたので興味津々だったが、土井氏は「これまで、この古墳は6世紀代まで遡るとみられていたが、6世紀代とするのは難しく、7世紀代の古墳である。7世紀代に吉備という大きな政体があったと言う考えは、自分は採用していない。従来の6世紀代の古墳として解釈してきた理解はできなくなった。全国の調査にも影響を与えるだろう」とご自身の見解を話された。

二子塚古墳はバスから降りて、山道を結構上った。前日、ほとんど睡眠をとる時間がなかったので、酸欠とめまいで体調が今一、それでも黒い羽に一筋の鮮やかなブルーの線が入った蝶々が上へ上へと導いてくれる。

今回の参加者は18名、全員が横穴石室に一度に入れる大きな石室にびっくり、天井も高く中央に大きな組み合わせ石棺が置かれ、それを囲んで、しばし強い太陽の日差しを避けて二子塚古墳の説明を聞いた。

「発掘された段階で、玄室前半部には石棺の残骸があり、底石がほぼ原位置に近い状況で検出された。石棺の蓋石や小口石材などが玄室内の堆積土中から出土し、蓋石は扁平なので家形石棺の形状ではないことから組合式石棺だったことが確認できた。石材は播磨竜山産の凝灰岩を使用。」

自分が立っていた奥壁から石棺の位置まで空間があり、何か置かれていたのかと思っていたら、玄室奥からは鉄釘が検出されており、石棺とは別に木棺が置かれていたようだ。どっちが先かな?石室内はかなり攪乱されており、原位置を保つ遺物は少なかったが、それでも相当量の遺物が検出されている。その中でも金銅双龍環頭柄頭は、向かい合った2頭の龍がそれぞれ玉をくわえているデザインで国内では他に例がないものだそうだ。

出土した須恵器の高杯の透かしの特徴は陶邑窯の型式編年のTK209型式の中段階と新段階に属するものであることから、石室内の初葬の年代は7世紀第1四半期であり、それから、7世紀前半の、やや新しい時期に追葬が行なわれた可能性が大きいという。
西日本で最後に築造された前方後円墳の1つがここ、旧山陽道の駅家近くに存在していたことの意味は大きいと思った。
 

霧の海

 投稿者:玉枕  投稿日:2017年 8月21日(月)17時40分8秒
編集済
  いとな様、ただいま!上空を弾頭ミサイルが飛ぶかも?との心配も誰もしないので、広島県の遺跡めぐり、参加してきました。参加人数は、ミサイルのせいか、広島県の遺跡に対する興味がなかったのか、いつもより少なかったですが、小回りが利いて遺跡めぐりとしてはちょうど良い人数でした。

小笠原先生や楯築墳丘墓の歯の鑑定をされた橿原考古学研究所の研究員でいらした宮川渉先生なども参加されていて、歯の行方など伺ってみました。その理系の宮川先生が三次のホテルで妖怪に会いたいとおっしゃっていたので、びっくり!

三次で小学時代を過ごされた方がいらして、自宅から学校まで行くのに、毎日、びっしょりになった記憶を話され、三次盆地の名物、深い霧の風土は妖怪の世界につながるなぁと現実の世界から引き離される一時でした。

四方を山で囲まれ、そこに流れる河川が織りなす自然環境、秋から早春にかけて早朝から霧が立ち込め、“霧の海”と言われている。三次盆地は山陰へつながる道、水木しげるの故郷、“ゲゲゲの鬼太郎”も、そんな風土の影響を受けているのかもしれない。

最初の報告“かずくとり”で、色々イメージの広がる皆様を相手に、目の覚めるような報告とはいきませんが、これから私なりの理解で、今回の旅の報告を綴ってみたいと思います。
 

Re:かずくとり

 投稿者:いとな  投稿日:2017年 8月21日(月)15時54分2秒
  玉枕さん、文全協研修旅行のレポート拝見しました。 お疲れさまでした。

「かずくとり」は広島県の県鳥「アビ」の古語で、海に潜って魚を捕る鳥との意。へえー。
ぬぬ?・・・今話題の「オスプレイ=ミサゴのこと」も海中の魚を捕るとのことで、これは同類か。
いや、それよりも「かずく」とは確か古語で「潜る」という意味があったはず。
次第に思い出してきました。
やはり、わが著書にも書いていました。
伊勢の海女の鰒取りでの潜水漁法に触れたくだりでした。(以下ご参考までに)

出典万葉集 二七九八
「伊勢の海女(あま)の朝な夕なにかづくといふ鰒(あはび)の貝の片思(も)ひにして」
[訳] (私の恋は)伊勢の海女が朝夕に水中にもぐってとるというあわびの貝が一枚であるように片思いであって。

昔はこんなこともありましたかなあ。
?
 

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